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フランシスコ教皇広島でのスピーチ全文を紹介!教皇が病気を治した奇跡のエピソードとは?

フランシスコ教皇広島でのスピーチ全文を紹介!教皇が病気を治した奇跡のエピソードとは?

2019年11月、フランシスコ教皇が訪日されました。

史上初のアメリカ大陸出身者の教皇であり、その人柄と霊性の深さにより世界中から称賛され、敬愛されている教皇です。

今回はフランシスコ教皇が広島訪問時にされたスピーチ全文をご紹介します。

出身から経歴、教皇になられてからのお仕事まで異例づくしのフランシスコ教皇は、いくつもの奇跡を起こしてきたともいわれている方です。

教皇が病気を治した奇跡のエピソードとはどんなものなのでしょうか?

広島でのスピーチ全文と共に、フランシスコ教皇が祝福により病気を治したというエピソードもご覧ください。

 

もくじ

フランシスコ教皇広島でのスピーチ全文を紹介!

2019年11月24日(日)、多くの参列者を前にフランシスコ教皇がお話されたスピーチの全文をご紹介します。

途中、「正当な差」についてとても難しいことを仰っていると思うのですが、そこについては後ほどわたしの個人的な解釈を述べますね。

静かな口調が、ゆるぎない意思と祈りの強さを感じさせるスピーチでした。

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。

あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。

ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。

この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。

わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、じっと祈るためです。とくに、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。

わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。

確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています。それは、わたしがすでに2年前に述べたとおりです。これについて、わたしたちは裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、国と国の間で何の行動も起こさなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪のスピーチで、あのだれもが知る偽りの行為を正当化しておきながら、どうして平和について話せるでしょうか。

平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています。(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス―地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を求めるため、他者に何かを強いることが正当化されてよいはずはありません。その逆に、差の存在を認めることは、いっそうの責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。

実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。武力の論理に屈して対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。

思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。

だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。

神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、心から声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11-12)。

主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。

 

スピーチ内の「差の存在を認める」とはどういう意味?

フランシスコ教皇は、必ずしも貧富の差を埋めよう、とされているのではないところが興味深いですね。

8段落目の「平和は、それが真理を基盤とし・・・」の内容はこのスピーチの中でも難しいことを仰っていたなと感じた部分でした。

わたしの解釈で言い換えるとするなら「平和は、人々がお互いに持っている差異を認め合い、その上で自分らしく自由に生きられる実感を持てるようにならなければ机上の空論だ」ということだと思います。

フランシスコ教皇は「争いが起きるのはお互いの持つ差を受け入れられないからだ」としています。

しかし人間の間に差はあって当然のことだし、その差こそが責任とか敬意の源になるんだ、と仰っているのだと思います。

だから「(差を埋めようとして)自分の利益のために他者に無理を強いるのは間違っている」し「差を受け入れつつお互いが平等に歩み寄る努力をしなくてはいけない」と仰っているのではないかと解釈しました。

あなたのご意見はいかに?

ぜひコメント欄にお寄せください♪

 

フランシスコ教皇が病気を治したエピソードとは?

関係ないけど、上のツイッターに出ているフランシス教皇の日本人への見解、恐ろしく鋭く的を得ていると思いませんか?

こういうことを真っ直ぐ投げてくるところが、フランシス教皇の誠実さとか、個人的な人柄を表しているのでしょうね。

博識で人望に厚く、貧困問題や核廃絶問題にも鋭く切り込んでくると評価の高い教皇ですが、奇跡を起こす人としての呼び声も高い方なんです。

どんなエピソードがあるのでしょうか?

 

先天性脳腫瘍の女の子を一瞬で治した奇跡

今回のフランシスコ教皇の来日時にも、テレビではパレードの沿道に生まれたての赤ちゃんが持ち上げられ、教皇が頭にキスをする映像が流れていました。

「まぁなんてラッキーな子!ご両親は大喜びだね」と思って微笑ましく見ていましたが、実はこのよくあるような映像にフランシスコ教皇が起こした奇跡があったそうです。

2015年9月、アメリカのペンシルべニア州フィラデルフィアを訪れたフランシスコ教皇の目の前に、やはり生まれたばかりの赤ちゃんが差し出され、教皇は祝福のキスをしました。

両親は泣いて喜びましたが、奇跡はその2か月後に発覚したということです。

この赤ちゃんは、先天性の脳腫瘍を持つ女の子で手術もできない難病でした。

それが教皇に祝福のキスを受けた2か月後、MRIを撮ってみたところ、元あった腫瘍がほとんど見えなくなるくらい小さくなっていたというのです。

管理人・かにゃ

「祝福」とは、なんと喜びに満ちた言葉だろうにゃん。

両親の歓喜の波動に赤ちゃんの波動が応えたんじゃないかと思うにゃん。・・・

 

「聖ジェンナーロの血」にまつわる奇跡

聖ジェンナーロは西暦305年に逝去したとされるキリスト教殉教者で、当時ローマ帝国で影響力を持ち始めたキリスト教弾圧の犠牲者として打ち首になった聖人です。

その時打ち首にされたのは聖ジェンナーロだけではないのになぜ聖ジェンナーロの血液だけが保存されることになったのかわかりませんが、それはガラス瓶に入っていて小さな箱に収められ、イタリアのナポリ大聖堂に保管されているそうです。

1800年以上も前の血液ですから当然乾いているのですが、毎年決まった時期に行われるサン・ジェンナーロ祭の時に遺体のそばに持ってくるとなぜか液状化する、という不思議な血液だそうです。

この奇跡の儀式は毎年行われるのですが、液状化するのはすぐの時もあれば数時間かかったり、何日もかかることもあるそうですが、液状化するとナポリ大聖堂からほど近いヌオーヴォ城から21発の礼砲を打ち、奇跡を知らせるのだそうです。

この血液が、やはり2015年3月にフランシスコ教皇がナポリ大聖堂に訪れた際、教皇のキスで液状化したとのこと。

聖ジェンナーロの遺体のそばに持ってこなくても、です。

ナポリ大聖堂のカトリック大司教はこれを見て「聖ジェンナーロが教皇を愛しておられる証拠だ」と仰ったといいます。

管理人・かにゃ

他にもあるらしいにゃん。

原因不明の病気の子が教皇の祝福を受けてすぐに病気の詳細が解明されて治療の目途が立った、とか。

多分、知らないところでもっとたくさんフランシス教皇の奇跡が起きてると思うにゃん。

 

まとめ

フランシス教皇広島でのスピーチ全文を紹介!病気を治した奇跡のエピソードとは?についてご紹介しました。

フランシス教皇はご自身と身内には大変厳しい方だそうです。

ご自身の生き方を持って人々を導いていらっしゃる方なので、だからこそ広島でのスピーチは真摯に受け止め、教皇と共に最善のことをしたいと思いますね。

全文読むと長いですが、どんなメッセージを伝えられたのかじっくり考えて理解を深めるチャンスではないかと思います。

子供たちの病気を治したり、聖ジェンナーロの血液を溶かしたりと奇跡のエピソードも数多くあり、ご健在の間に聖人入りされるのではないか、とも目されているフランシス教皇。

末永くお元気でご活躍いただきたいですね。

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