”自分勝手なエゴイスト”が生後6か月の赤ちゃんを誘拐して3年半も潜伏していた・・・
警察が、懸命な捜査の末に身柄を確保した時、犯人・野々宮希和子(きわこ)が発した言葉が、これでした。
でもこの一言だけで、その場にいた誰もが、きわこは誘拐したその子を大切に育ててきたらしいことがわかったでしょう。
裁判で有罪判決を受け、懲役6年の実刑となったきわこは、その後どうなったのでしょうか?
薫(かおる)とは再会できたのか、『八日目の蝉』とは何が言いたいための喩えなのか。
今回は『八日目の蝉きわこのその後・薫(かおる)との再会と蝉の意味・何が言いたいのか?』について考察します。
もくじ
八日目の蝉きわこのその後・薫(かおる)とは再会しないのか?
「八日目の蝉」 角田光代#読了
映画館で号泣した映画。もう一度浸りたくて原作を手に取った。誘拐犯の女と誘拐された少女の逃亡劇とその後の運命。小豆島の美しい風景と2人の母親ともうすぐ母親になる娘の葛藤。エンジェルホームなる新興宗教の描き方も面白かった。原作も映画もドラマも素晴らしい。 pic.twitter.com/SYuL7XGjKG— あや@読書 (@azQtn63K9HVtv36) July 20, 2020
『八日目の蝉』(角田光代著)は、1993年に実際に起きた放火事件が元になったフィクションです。
実話のほうでは誘拐事件ではなく、当時27歳だったOL北村有紀恵さんが、不倫相手が家族と住むアパートに火をかけて、幼い子供たち二人が亡くなってしまった、という内容でした。
実際の事件の犯人・北村有紀恵さんは28年後の現在も服役中とのことですが、映画の中の野々宮希和子(きわこ)は6年で無事に出所した設定になっています。
しかし、きわこは不倫相手で薫の父親・秋山丈博との間に妊娠した子供を堕ろしたことで子宮が癒着し、子供を産めない体になってしまいました。
出所したところで新たに子どもに恵まれることもないきわこは、有罪判決を受けたその後、何を励みにどんな人生を歩んだのでしょうか?
きわこのその後
本編の終わりのほうで、井上真央さん演じる薫(かおる)が、きわこと家族写真を撮った写真館を訪ねるシーンがあります。
あの時と同じ店主がそこにいて、写真自体は出所したきわこが6年前に取りに来たと教えてくれます。
ひとつはっきりしているのは、この写真館に薫との家族写真を預けてあることが、きわこの出所後への希望となっていただろう、ということです。
そして服役中は、毎日、薫(かおる)の面影を思い出し、二人で生活していた時のことを思い出して、ひとりで微笑んだり涙をこぼしたりしながら、塀の中の辛い日々を乗り越えたのでしょう。
きわこに罪悪感があったとすれば、それは堕ろしたお腹の子供に対してであり、自分が逮捕されたことでそばにいてやれなくなった薫に対しての罪悪感だったと思います。
それは服役中も、出所後もずっと持ち続けた気持ちだったのではないでしょうか。
薫はきわこが逮捕された時まだ4歳で、実の両親の顔など全くわからないまま放り出すことになってしまったのですから、自分がいなくなり知らない大人の家に連れて行かれて苦労しただろう、ということくらいは想像がついたと思います。
自分は母親のフリをしていただけで実は赤の他人だし、薫には全く罪がないのにそんな苦労をさせたのだから、出所したところで合わせる顔もありません。
きわこは写真館を訪ねて、6年前に撮った薫との写真を受け取り、生涯それを宝物のように大切にして、どこかでひっそり生きて行こうと考えたと思います。
そして自分のことを誰も知らない、どこか遠い町で、幼い頃の薫との思い出だけを大切に暮らし始めたんだろうと思います。
薫(かおる)とは再会しないのか?
薫(かおる)は、映画の終わりのほうで小豆島のあの写真館を訪ね、最後にきわこと別れた日のこと、一緒に撮った家族写真のことを思い返し、ようやく自分の本当に気持ちに気づきます。
自分はきわこのことも両親のことも、恨んだり憎んだりしたくなかった、そしてこれから生まれてくるお腹の中の子供のことを、今でももう、ものすごく愛していると気づきます。
薫はここで初めてきわこのことも、実の母親のことも許すことができました。
きわこと薫が再会する可能性があるとすれば、きわこのほうからではなく、薫がきわこを探し出して会いに行った時でしょう。
でも薫には今や力強い味方がいます・・・マロンこと安藤千草です。
彼女が多分、一緒にきわこを探し出してくれるでしょう。
薫が出産して、生まれた子を見せに行くことができたら・・・きわこにとって薫の子は自分の孫のような存在です。
戸惑いはあっても、思いがけない幸せではないでしょうか?
是非そんな幸せをきわこが味わえる日が来ることを祈ります・・・映画だったら号泣必至のシーンでしょう!
しかし・・・実の母親にして秋山丈博の妻・恵津子がどう出るか、ですね。
恵津子には内緒にしてきわこに会いに行くのがベストかと思います、とりあえずは。
薫の子にきわこのことを「おばあちゃん」と呼ばせるわけにはいかないし、説明も難しいので、子供の心にそんな心理的負担をかけずに済む方法を考えないといけません。
きわこと無事に再会できたとしても、継続的に付き合いを続けていくには試練を覚悟しないといけないですね。
蝉の意味と伝えたいこととは
八日目の蝉 8話の短編で
マザーみたいにキレイにリメイクしてくれそう#韓ドラ化希望の日本原作作品 pic.twitter.com/ekubNka6wv— non (@nonnon46_12) February 19, 2021
『八日目の蝉』は、通常は地上に出て7日しか生きられない蝉の中に、もしも8日目まで生きている蝉がいたら、どうだろう?という意味のタイトルです。
という千草の言葉に、薫は
他のどの蝉もみんな七日で死んじゃうんだったら、別に淋しくない・・・だってみんなおんなじだし。
でももし八日目の蝉がいたら・・・仲間みんな死んじゃって・・・その方が悲しいよ。
と答えます。
この蝉の会話は本編の最後のほうにもあって、千草が薫にこう言うシーンがあります。
あのさ・・・前に蝉の話したよね。
七日で死ぬより、八日目の蝉のほうが悲しい、って。
わたしもそう思ってたけど、違うかもね?
八日目の蝉はさ、他の蝉には見られなかった何かを見られるんだもん。
もしかしたらそれ、すごく綺麗なものかもしれないよね?
つまり、ここで二人の八日目の蝉についての概念が変わってくる、ということですね。
八日目まで生きている蝉は不幸じゃなく、むしろ新しい世界が見られて幸せなんじゃないか?という風に。
ではこの映画に象徴される蝉とは、そもそもどんな生き物なのでしょうか?
蝉の意味とは?
蝉は「眩しい夏の太陽の下で、七日間だけ思い切り元気に生きて、七日であっけなく生涯を終えてしまう哀しい生き物」です。
七日の間、蝉はもうすぐ自分の寿命が尽きてしまうことに気づいているのでしょうか?
他の周りの生き物たちがもっと長く生きていけるのに、自分たち「蝉」という種族に生まれついた者たちだけは七日しか生きられない。
これをこの映画の中の登場人物たちに置き換えると、蝉に例えられる人物は2人います。
きわこと薫(かおる)です。
2人とも、不幸な宿命を背負って世の中に出てきて、ほんの束の間、夏の季節(親子としての幸せな時間)を謳歌して終わってしまいます。
きわこは誘拐犯ですから、その倖せが永く続くとは最初から思っていなかったと思います。
しかし薫の場合は、本人には何の罪もありません。
大好きなお母さんとの暮らしを物心ついた頃に突然奪われて、その人は母親ではなく誘拐犯だった、と知らされます。
ふたりとも、人が聞けば「そんな境遇じゃ不幸になって当然」と思うような宿命を背負っています。
この作品が象徴する『蝉』とは、不幸になって当然と思うような悲しい宿命を背負った人たちのことを指すのだと思います。
八日目の蝉は誰?
でも薫は、そんな蝉たちの中でも、新しい世界を見られる八日目の蝉になろうとしています。
薫は小豆島で、きわこが自分を本当に愛しんで育ててくれたことを思い出しました。
それまで薫は「自分は母親になんかなれない。どう愛したらいいかもわからない」と言っていたのです。
しかし、きわこがかけてくれた愛情と幸せを思い出し、自分の本当の気持ちに気づいたことで、母親としての無償の愛を悟りました。
生まれてくる自分の子供にどう接したらいいかがはっきりと理解できた薫は、きわこがかつて自分に言ってくれたことと同じことを口にします。
可愛い服着させて、美味しいもの食べさせて、何にも心配要らないよって教えてあげる。
大丈夫だ、って・・・世界で一番好きだよ、って何度も言うよ。
わたし、なんでだろう?・・・もうこの子が好きだ。
まだ顔も見てないのに。
この悟りによって薫はこの世界に、母親としての自分の役割と居場所を、勝ち取ることができました。
薫は八日目の蝉となったのです。
『八日目の蝉』が伝えたいこととは?
”八日目の蝉”とは、「自分に課せられた非常に重い試練を乗り越えて、そこから新たに生きる力を獲得した人」のことを指すのだと思います。
非常に重い試練とは、普通なら誰もがくじけて人生を諦めてしまうほどの重い試練、という意味です。
きわこや薫のような境遇にいる人のことです。
でもどんなに辛いことがあろうとも、その人を生かすのは結局、愛でしかないということを言いたのではないかと思います。
薫も、きわこや両親を恨んで憎んでいる間は、誰にも心を開けず母親となる自信も持てませんでした。
自分がきわこからもらった愛情を思い出し、周りの人たちやそれまでの人生を赦して肯定できた時に初めて、生まれてくる子供にとって自分がいかに重要な存在となるのかを悟るのです。
自分の存在価値がわかると人はすこぶる強くなれます。
何か辛い試練に耐えている最中かもしれない全ての人に、この映画が言いたいことは
「あなたも、周りの人たちもみんなその時々でベストを尽くしてきた、と認めること。
その上で、上手く行かなかった部分は赦すこと。」
ではないでしょうか?
自分も人も赦してしまうと、心に沸いてくるのは愛と感謝しかありません。
愛と感謝は人が生きる力を根底から支えてくれるものです。
薫が八日目の蝉となることによって、実の両親も、きわこも救われることになります。
きわこも実の両親も、本来薫が幸せになることを望んでいた人たちで、自分たちのエゴに巻き込んで薫を不幸にしてしまったことで、誰よりも罪悪感に苦しんできた人たちだからです。
きわこの場合は、もしも薫と再会することができたら、諦めていた母親としての娘への愛をもう一度、思い出せるかもしれません。
きわこもまた、八日目の蝉になれるかもしれないのです。
八日目の蝉みたいな映画ならこれがおすすめ!
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同じ日に生まれた二人の赤ちゃんが、病院の手違いでテレコになり、全く別の生活環境で暮らす2組の両親の元で育てられます。
その息子たちが小学生になった頃、両親たちは真相を知り、血のつながった息子を「正しい」両親の元へ戻そう、と話し合い、期間を決めて息子を交換するのですが、全く違う家庭で育った実の息子は、血がつながっているとは思えないほど自分たちとは相いれない趣味や思考の仕方を持つ子供に成長しており、戸惑います。
親子とは何か、血とは何か?を考えさせられる物語です。
それぞれの父親役がリリー・フランキーさんと福山雅治さんなのもいいですね!
全く環境の違う家庭で育ちながら、どちらの息子もとても良い子に育っているのも、感動的です。
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まとめ
🎬 八日目の蝉
何処に逃げても
いつかは見つかってしまうと
わかっているから、ただ一緒に暮らせるだけでいいと願う生んでさえいれば誘拐なんてすることもなく誰も傷つけずに済んだのだろうか
🍃🌸🍃#映画好きと繋がりたい pic.twitter.com/4a7S6u2CWi
— 🌸さえ🌸 (@iety17sae18) November 3, 2020
『八日目の蝉きわこのその後・薫(かおる)との再会と蝉の意味・伝えたいこととは』についてご紹介しました。
きわこは秋山夫妻に対してではなく、薫への罪悪感は相当持っていると思います。
刑期を終えても薫に合わせる顔がないので、あの写真館に預けてあった家族写真を唯一の宝物のように持ち帰り、ひっそりとどこかで一人暮らしていくでしょう。
薫は映画の最後できわこを許すことができ、母親としての愛を悟ることができました。
薫は八日目の蝉として、生まれてくる子供のことも、両親やきわこのことも幸せにできる力を得たのです。
ひょっとしたら映画のその後、薫がきわこを見つけ出し、二人は再会したかもしれません。
そうなればきわこもまた、八日目の蝉となり得るでしょう。
待ってください!
その子は・・・まだご飯を食べていません。
よろしくお願いします・・・!