ケンマイルズ死亡の理由は?フォードvsフェラーリ原作実話の史実あらすじネタバレを紹介

フォードVSフェラーリ原作は実話?ケン・マイルズ死因も紹介
Pocket

マット・デイモンとクリスチャン・ベールのF1レースにかける友情と家族愛を描いた映画『フォードVSフェラーリ』はもうご覧になりましたか?

主人公のキャロル・シェルビーとケン・マイルズは実在した人物です。

今回は『ケンマイルズ死亡の理由は?フォードvsフェラーリ原作実話の史実あらすじネタバレを紹介』のタイトルで、ネタバレつきで映画の原作となる実話についてご紹介します。

わたしはこの映画の登場人物について調べるにつけ、物語のドラマ性にとても惹きつけられました。

ジェームズ・マンゴールド監督が映画を撮りたくなった気持ちがよくわかります。

どんな背景があったのか、チェックしてから映画を観ると面白いですョ!

今や歴史上の人物でもあるケン・マイルズですが、彼の死因は事故によるものだったんですよね。

ケン・マイルズの死亡の理由についてもあらすじを史実とネタバレつきでご紹介したいと思います。

 

もくじ

ケンマイルズ死亡の理由は?

ケン・マイルズが亡くなったのは、1966年8月17日でした。

場所はカリフォルニア州のリバーサイド・サーキット、正式名称を『リバーサイド・インターナショナル・レースウェイ』といいます。

1957年から1989年までの約32年間、サーキット場として利用された後に閉鎖。

その後、跡地にはショッピングモールが建設されました。

リバーサイド・サーキットでF1レースが開催されたのは、1960年のアメリカGPたった一度だけでした。

ケンマイルズが亡くなったのはもちろんレース上ではなく、GT40の改良型であるJカーをテスト走行していた際の事故でした。

高速スピードで走行中にコントロールを失い、コースアウトした、とありますが、原因はわかっていません。

天才的才能を持つレーサーだったケンがスピードが出ていたからといってコントロールを失うでしょうか?

Jカーに不具合が生じていたのか、もしくはほんの一瞬の操作ミスだったのか・・・。

この時テスト走行に出ていたのはケンだけではなかったようですが、この事故が他のレーサーを巻き込んだという記録はなく、単独事故だったようです。

 

ケンマイルズ死因 は映画でどう描かれている?

作中、ケンの事故死はエンディング前のエピローグのように、思いがけない形で襲ってきます。

手に汗握るレースとフェラーリとの攻防、企業戦略の駒として使われ不満がないとは言わないが、ともかく全力を出し切ったことに満足するケンとキャロル。

フォードは1966年のル・マン24時間耐久レースにて、晴れて優勝することができました。

いろいろなことがあったけど、ケンとキャロルのふたりは原点に返り、新たなレーシングカーの開発に戻ります。

ル・マンから2か月後の夏のある日、ケンは新車のテスト走行に出ていました。

息子のピーターが「調子よさそうだね」と双眼鏡を覗いて言った直後のことです。

視界に煙が上がり、車が横転するのが目に入りました。

走り出すキャロル・・・恐怖と不安におののくピーター。

駆け寄っていく数人の姿が写り、画面は暗転します。

実際の事故では、テスト走行していたのはケンだけではなかったようなので、もっと多くの人が目撃していたかもしれません。

この事故で亡くなったのは、ケン・マイルズだけでした。

 

フォードvsフェラーリ映画原作は実話です!

『フォードVSフェラーリ』は実話に基づく映画です。

ただ、筆者は「どこまでをどう映画で描くのかなぁ?」と多少複雑な思いでいる部分もあります。

というのも、この話は登場人物にもストーリーにも非常に厚みがあって、描こうとすればどんな角度からでも、誰を主人公にしてでも描ける面白い話だからなんです。

今回の主人公は、レースカーデザイン&製造会社の『シェルビー・アメリカン』を経営するデザイナー、キャロル・シェルビー(マット・デイモン)とF1レーサーであるケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)です。

この2人が、1966年の『ル・マン24時間耐久レース』にフォード車で出場し、フェラーリを打ち負かすまでのストーリーとなっています。

しかし、長年レーシングカーのトップに輝いていたフェラーリに勝つという偉業は、この2人の手による活躍だけでは成し遂げられませんでした。

他にどんな人たちがこのプロジェクトに関わっていたのか、こちらの記事で詳しく紹介しています。

人物相関図と共にチェックしてみてくださいね♪

フォードvsフェラーリ映画吹き替え版キャスト声優一覧・相関図画像を紹介!

 

フォードvsフェラーリ史実との違いは?

フォードvsフェラーリは実話を元にしていますが、映画の設定が史実と異なる部分もありました。

顕著なところだとフォード社員の肩書です。

作中、ケン・マイルズとキャロル・シェルビーの足を引っ張る嫌われ役が出てくるのですが、それがレオ・ビービでした。

映画の中では彼は副社長という肩書なのですが、史実ではこの時代フォード社の副社長だったのは映画でセールス部門トップという肩書で描かれているリー・アイアコッカです。

ではなぜレオ・ビービが副社長として描かれているかと言えば、そのほうが話に説得力が増すからです。

ル・マン耐久レースのゴールインの時、フォード車3台同時のフィニッシュというベストショットを写真に収めたいと言い出したのは史実の上でもレオ・ビービでした。

しかし彼は史実では当時スポーツカー部門トップ(映画の中でのリー・アイアコッカの肩書とてれこ)という肩書でした。

映画製作上は、どのキャラクターにどの責任を負わせるかというのが演出上必要だったため、レオ・ビービを副社長という肩書で描き、話に説得力を持たせたのだと思われます。(2020.1.12追記)

さて、車好きの方、レーシングカー好きの方ならご存知かもしれませんが、そうでない方にとっては『ル・マン24時間耐久レース』といわれてもどんなものなのかぴんと来ないと思います。

わたしもそうでした。

知らなくても映画自体はすごく面白いらしいのですが、知ったらもっと面白いんじゃないか、と思う『ル・マン24時間耐久レース』のポイントをご紹介しますね。

 

ル・マン24時間耐久レースってどんなレース?

『ル・マン24時間耐久レース』は、1923年に初めて開催された伝統あるレースで「世界3大レース」の一つです。

レーサーにとって『ル・マン24時間耐久レース』で優勝することは非常に名誉なことであり、レーサーは何よりもこのレースで優勝することを目標にし、それに向けて一年間調整をかけると言っても過言ではないイベントです。

ル・マン24時間耐久レース概要

開催地:フランス、ル・マン市
時期:6月
コース:サルト・サーキット(全長13km超の周回コース)

スケジュール:
月 ル・マン旧市街地にあるパブリック広場にて公式車検
火 なし(各自調整&フリータイム)
水 フリー走行&公式予選Ⅰ
木 公式予選Ⅱ&公式予選Ⅲ
金 ル・マン市内にてドライバーズパレード
土 レース本番・午後3時スタート
日 レース本番・午後3時フィニッシュ

24時間耐久レースというだけあって、レース本番は土曜日の午後3時スタート、日曜日の午後3時にチェッカーフラッグで終了します。

映画では16時スタート&翌日の16時フィニッシュとして描かれていました。
この時代は16時スタートだったのかもしれません・・・。(2020.1.12)

一年で最も日没の遅い夏至の時期として6月に設定されるそうで、この時期フランスの日没は22時頃だそうです。

映画でも描かれるであろうポイントですが、多くの人がご存知のようにレーシングカーの世界は危険と隣り合わせです。

普段のテスト走行でも死者が出る世界ですし、『ル・マン24時間耐久レース』では1955年のレースのように観客やスタッフを巻き込んで86人もの死亡者と、200人もの死傷者が出た大惨事もありました。

さらにル・マンは24時間という長時間の走行となるため、体力・気力・集中力の限界に挑むレースとなり、最も危険なレースといえます。

「ル・マンには魔物が棲んでいる」と言われるゆえんです。

通常ドライバーは2人のチームで挑みますが、歴史の上ではたったひとりで23時間も連続走行したピエール・ルヴェーという選手がいました。

現在は安全性の面から規則によりそのような単独長時間走行はできないようになっているそうです。

 

作中の「ル・マン式スタート」にも注目

1966年当時は、レーススタート時のスタイルに「ル・マン式スタート」が適用されていました。

これは、スタートの合図と共に「車が走り出す」のではなく、「レーサーが自分の車に向かって走り出す」ところから競争が始まる、というものでした。

レーサーは道路の反対側で位置につき、スタートの合図と共に自分のレースカーに向かって走り、乗り込んだ選手から車を走らせます。

実はこのスタート方式だと、シートベルトをせずにスタートする選手が続出したり、後方にいた車が先に出ようとして混乱が起きたりと大変危険で、実際事故も多かったそうです。

現在ではル・マンに限らずどの耐久レースでも、ローリングスタートという形式が用いられています。

ローリングスタートはちなみに、最初は先導車の後について隊列を守って走行し、スタートの合図が出てから加速・追い越しができる、というスタート方法で、レーサーは最初から車の中にいます。

管理人・かにゃ
ジャッキー・イクスという賢明なレーサーがいたにゃ。

彼は1969年のル・マンに出場した時、他の選手みたいに走ったりしなくて、ゆっくり自分の車に乗ってシートベルトして、他の車が全部出払ってから悠々と出発したにゃ。

でもこれが、ル・マン式スタートがいかに危険か、回避するための模範を示すことになって、1971年からル・マン式スタートは無くなってローリングスタートに変わったにゃ。

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/

フォードvsフェラーリ映画あらすじネタバレを紹介

映画の舞台は1960年代のアメリカです。

社長に就任したヘンリー・フォード2世は、傾いていた会社の業績を回復し活気を取り戻すため必至でした。

ベビーブーム世帯に向けた新車の開発のためフォード2世は新たな技術を会社に取り入れるため、資金難に陥っていたフェラーリを買収しようとします。

話はまとまりかけたのですが、フェラーリは土壇場でそれをキャンセルし、このことがフォード2世の闘志に火をつけたのでした。

「絶対にフェラーリを打ち負かしてやる」

当時フェラーリは『ル・マン24時間耐久レース』で連戦連勝を果たし、1960年からは4連覇で世界最強でした。

フェラーリに勝つことがフォードのベンチマークとなり、多大な資金と人材を投資してV8エンジンを搭載した新たなスポーツカー、GT40を開発します。

1964年に発表されたGT40は、その年開催されたル・マンに3台も投入されたのですが、結局3台とも大敗することになりました。

最高速度はル・マン新記録の300km/h、ラップレコードも記録したほど車の性能は良かったのでしょうが、フォードにはレースについての知識と経験に長けた人材が決定的に不足していたのです。

そこで呼ばれたのがキャロル・シェルビーです。

自身もレーサーとしての経験があり、シェルビーはレーシングカーデザインにかけては卓越した才能がありました。

1965年から2年がかりで『シェルビー・アメリカン』が手を加え、改良したGT40が、1966年の『ル・マン24時間耐久レース』でとうとうフェラーリを打ち負かすことになります。

 

ケン・マイルズとキャロル・シェルビーの友情

イギリス・バーミンガム出身のケン・マイルズはアメリカで自分のカーショップを持っていました。

レーサーとして華々しい成績を収めていましたが、自身はエンジニアとして生きる方が性に合っていると思っていました。

愛妻モリーと一人息子のピーターがいますが、もちろん家族のためにも危険なレースに出ることよりもエンジニアとして車の開発をしたいと思っています。

そこに、フォードGT40の開発を進めるキャロル・シェルビーからレースに出て欲しいとスカウトが来るのです。

実際は、フォードから話が来る前にすでにケン・マイルズは自分のショップをたたんで『シェルビー・アメリカン』に入っていたと思うのですが、映画の中ではどう描かれるのでしょうか。

同僚にレースに出てくれと言うより、家族のためにレーサーを引退したケン・マイルズを口説き落としてプロジェクトに引き込むほうが、話としてはドラマチックですね。・・・

(2020.03.03追記)

作中では、借金に窮していたケン・マイルズにキャロルが破格の報酬を約束して、プロジェクトに引き込むシーンがありましたね。

 

 

まとめ

『ケンマイルズ死亡の理由は?フォードvsフェラーリ原作実話の史実あらすじネタバレを紹介』のタイトルで、原作となる実話とあらすじを史実ネタバレつきで紹介しました。

しかし実際のフォードVSフェラーリの攻防は、映画のストーリー以上にさまざまなドラマがあったであろうと思います。

同じシリーズでフォード2世とエンツォ・フェラーリ、フィアットの社長であるジャンニ・アニエッリの3者側から映画を作ることもできそうだし、フォード社の社員たちをメインにしても1作品作れそうです。

ケンマイルズの死亡理由は切ないですね。

生涯レーシングカーに情熱を捧げた人物でした。

フォードVSフェラーリの人物相関図や吹き替えキャストについて知りたい方は下記からどうぞ♪

>>フォードVSフェラーリの人物相関図・吹き替えキャストを見る