木曜20時~放送されていたドラマ『科捜研の女』は、1999年からなんと満20年も続くロングランでした。
このドラマに出演していた俳優の深浦加奈子さんが死去されたのは2008年、すでに10年以上経つにもかかわらず、今でも深浦さんを惜しむ多くの人々が死因や闘病エピソードについて関心を寄せています。
今回は、そんな深浦加奈子さんのが座ったまま絶命された理由と死因、闘病エピソードについてご紹介します。
科捜研の女は深浦さんの膨大な数の出演作の一つにすぎませんでしたが、このドラマで活躍していた深浦さんが死去されたなんて信じられない、と未だに多くの人がつぶやいています。
座ったまま絶命されたのはなぜなのでしょうか?
深浦さんの俳優としての情熱が伝わるエピソードをご覧ください。
もくじ
深浦加奈子座ったまま絶命の理由
オハオハオッハ-♪オッハッハー♪
今日は深浦加奈子姉さんの命日🍀
いつも僕を見守ってくれてるから今日もまた良い1日になるだろう🍀
いつもありがとうございます🍀
今日はそんな姉さんにたくさん感謝しながら過ごすんだ🍀
ね🍀
皆さんもたくさん作品ありますから観てね🍀 pic.twitter.com/5QVV7FOAyO— 八嶋智人 (@meganeouji840) August 24, 2019
深浦加奈子さんが座ったまま絶命された理由は、
その頃すでに横になることが難しい状態だったからです。
病状が悪化し、肺機能が低下していて、横になると肺が圧迫されて苦しいので座位の姿勢を取ることにされたのです。
ベッドに座った姿勢をとってそこにテーブルを引き寄せ、枕を置いて、枕を抱くようにして身体を乗せていたそうです。
深浦加奈子さんが他界されたのは、2008年8月25日22時57分。
ですが、8月20日の時点で彼女は横になることが難しく、始終座った姿勢でいることにされていたとのことです。
最後は家族に見守られながら
亡くなる直前の数週間は、深浦さんの身体は限界まで打ちのめされていました。
肝臓の機能は低下し、肺は半分潰れてしまい、呼吸することさえやっとで、もうほとんどしゃべることもできません。
亡くなる2日前にお見舞いに訪れた戸田恵子さんは、それでも深浦さんの笑顔を見て「ありがとう」という小さな声を聞いたそうです。
そしてとうとう2008年8月25日、深浦さんはベッドに座ったまま、息絶えたといいます。
最期を看取ったのは、深浦さんのお姉さんでした。
連日の看病で疲れが溜まっていたお母さまを連れてお父様が自宅に一時帰った直後に、長女である深浦さんのお姉さんから電話があり、「すぐに来て!」と言われて、脱いだ靴をすぐにまた履いて病院へ戻られたそうです。
深浦さんはお母さまがお父様と自宅に帰る前、「お母さん、ありがとう。わたし、もういいの。大丈夫よ」とはっきり仰ったそうです。
それから心電図が弱くなり始め、お姉さんが慌てて先生を呼び、自宅に電話をかけたそうですが、深浦さんには苦しそうな表情は全く見られなかったそうです。
ただ目を閉じて静かに呼吸されていたそうです。
葬儀は9月2日に都内で行われ、親友の戸田恵子さんはもちろん、ドラマで共演し親交のあった沢口靖子さんや松嶋菜々子さん、天海祐希さん、三浦友和さん、渡辺いっけいさん、高橋克実さん、古田敦也さん、その他ご友人や芸能関係者など550人が参列し、小泉今日子さんが涙をこぼしながら弔辞を読まれました。
深浦加奈子はいつ結婚したの?旦那さん(夫)は誰?
深浦加奈子さんは生涯、結婚しませんでした。
旦那さん(夫)は生涯いませんでした。
お芝居が人生の伴侶と思い定めて邁進された方だったようです。
ドラマの中では幅広くいろんな役をこなされて、魅力的な人柄が表れていましたよね。
多くの人に囲まれているようなイメージだったので、そんな風にストイックに独り身をつらぬいていたなんて、意外に思われる方も多いのではないでしょうか
深浦加奈子の死因は?
2008年8月25日 深浦 加奈子 (ふかうら・かなこ)【女優】
享年48#深浦加奈子#ナースのお仕事#ショムニ#科捜研の女pic.twitter.com/t25v7geGKz— 命日bot (@meinichi_bot1) August 24, 2019
深浦加奈子さんの死因は「がん」でした。
「がん」と一口に言っても、さまざまな「がん」があります。
深浦加奈子さんが最初に発病したのは「S状結腸がん」、大腸がんの一種で、出血などの症状が出ても「痔かなんかかな・・・」と思ってしまい見過ごされやすい病気だそうです。
大腸がんは2017年の統計では女性のがん死亡数1位となったがんで、その中でも結腸がんは女性のがん死亡者数2位でした。
とにかく自己判断で見過ごされやすいのがあだになる病気のようです。
深浦加奈子さんも、2002年の冬、最初にお腹が痛くなったときは重い生理痛だろうと思っていたそうです。
そのうち治るだろうとしばらく様子を見ていたところ一向に治らずむしろ症状は悪化し、病院に救急搬送される事態になりました。
そこで診断されたのが「S状結腸がん」だったのです。
S状結腸がんとはどんな「がん」なのか?
ご覧の通り、S状結腸は大腸がぐるりとお腹を一周した終わりのほうにあり、S字の形をしている部分です。
大腸がんはそもそも、発生初期にはほとんど症状がありません。
S状結腸とその周辺にできるがんも、初めは便秘や下痢、便が細くなったり、便に血液が混じる(血便)などで来院し検査をしてわかるケースが多いそうです。
貧血も症状として表れることがあるそうですが、女性は貧血も腹痛も同じように生理痛じゃないかと思って放っておいてしまいがちなのかもしれません。
深浦加奈子さんのように激しい腹痛で病院に搬送される状態にまでなってしまうと、その頃には病状が大分進行してしまっているかもしれません。
S状結腸がんだけじゃなく、どんながんでもおんなじにゃ。
にゃんでもないかもしれないと思っても、すぐに病院で診てもらうことは本当に大切だにゃ!
深浦加奈子の闘病生活エピソードとは?
みんないる。伊藤ヨタロウさん、川勝さん、深浦加奈子さん、田口トモロヲさん、加藤芳一さん、島田さんら。ワハハ本舗バスツアーより。1989。 pic.twitter.com/DKnCeWrrqx
— 滝本淳助 (@takimotonosekai) August 7, 2019
がんと診断を受けた2002年当時、撮影していたのは福山雅治さんと松嶋菜々子さん主演のドラマ「美女か野獣」でした。
他にも同時期にNHKの「風子のラーメン」、日テレの「平成夫婦茶碗」、フジテレビの「東京物語」と、わき役とはいえ何本ものドラマを掛け持ちし、精力的に活動していました。
深浦加奈子さんは「仕事が恋人」と言って結婚もせず、生涯独身を貫いています。
その言葉通り、闘病生活が始まった2003年以降も相変わらず多くの作品に出演し続け、病気のことは周りにはほとんど知らせず、気づかれることさえなかったそうです。
闘病について知らせていたのは親友の戸田恵子さんなど極近しい人のみ。
あとはご家族が総出で深浦さんを支えました。
病状が進む中、それまで所属していたシス・カンパニーを退職し、お父様の経営する会社に移籍したのが2005年。
病気のことは、本当に周りの人には極力秘密にしていたんだにゃ・・・
それからは実のお姉さまが深浦さんのマネージャーを務め、栄養管理士の資格を持つお母さまが深浦さんの食事を担当されます。
お姉さまの旦那様である義理のお兄様はお医者さんだそうで、深浦さんの病院選びから治療方針の決定まで全面的にバックアップされました。
ご家族全員の見守る中、深浦さんはどこまでも前向きに治療に取り組み、病気の克服を目指していたといいます。
最初の手術でがんは摘出できたものの・・・
深浦さんのS状結腸がんは、予想以上に深刻でした。
手術は成功したものの、その後、肝臓や胃、肺などに次々転移し、肺に転移した時には呼吸困難にも陥るようになったそうです。
肝臓にがんが転移してしまうと、毒素は全身を巡り至るところで体を蝕むようになります。
幾度も手術を繰り返し、モルヒネを打ちながら痛みと闘いますが、やがて2度目の肝臓がんになり、それ以上手術で摘出することもできなくなりました。
想像を絶する痛みと呼吸困難の中、とうとう病院からは終末医療を勧められることになります。
終末医療を勧められた深浦加奈子さんが次に選択したこととは?
終末医療では、体の痛みや苦痛を取り除き、心身を楽にするための治療をします。
しかしこれを勧められた深浦さんは、断固として拒否しました。
終末医療は、病気を治すための治療ではなく、命を終える準備をするための処置でしかなかったからです。
深浦さんには女優として仕事への情熱があり、病気を克服することしか考えていませんでした。
ご自身でもがんについて勉強し、自ら選んで放射線治療を受けることにしたのです。
こんな風に命ある限り前を向いて、未来を信じて生きて行かにゃ、人生の困難には打ち勝てないにゃ。
深浦加奈子さんの生き方は、命を大切にすることの意味を、強烈に教えてくれるにゃ・・・
深浦加奈子の最後の仕事はナレーションだった
放射線治療は人によって副作用があったりなかったり、どの程度の副作用かも個人差があるようです。
深浦さんの場合は、副作用が強くでてとても辛かったようです。
吐き気や嘔吐を繰り返してしまうし、髪の毛も抜けてしまったそうです。
病院にお見舞いにいらっしゃる方には心配をかけまいと、必ずかつらを着用していたといいます。
歯医者も昔はみんな大嫌いだったけど、最近は全然痛くないように治療してくれるし、いい世の中になったにゃ。
最後の仕事はテレビ新広島のドキュメンタリー「描けなかった2枚の絵 原爆が投下された日の記憶」のナレーションでした。
体調が思わしくない中での広島収録・・・それでも深浦さんにはどうしてもやりたいお仕事だったそうです。
「これが最後の仕事かもしれない」とお母さまに覚悟を打ち明け、深浦さんはお姉さまに付き添われて、出かけていきました。
このドキュメンタリー番組は2008年の8月6日に放送されています。
『加奈子。何をしてやれたかな…―女優・深浦加奈子の父が綴った、大腸ガン闘病記 』
この記事に書いた内容は、下記の著書とウィキペディアにみんな掲載されています。
深浦加奈子さんについて知りたい方はお父様の書かれたこちらの著書がおすすめです。
是非読んでみてください。
涙が止まりません。
まとめ
真ん中。女優・深浦加奈子さん、会うと仲良くしてたんだ。
死んじゃうとは。
いつも元気にしてたのに。
お疲れさまでした。合掌 pic.twitter.com/RRlU5q7CiW— 滝本淳助 (@takimotonosekai) March 7, 2018
深浦加奈子さんは科捜研の女を始め、それこそどこのチャンネルでも顔を見るくらいの売れっ子俳優さんでした。
死因はS状結腸がん、最後まで諦めず闘病することを選び、女優として生きたエピソードが胸を打つ生涯でした。
座ったまま最後を迎えたエピソードは、呼吸を少しでも楽にするために病床でも体を起こした姿勢でいたということでした。
深浦加奈子さんは、晩年辛い体を押してもぎりぎりまでお仕事されました。
葬儀には科捜研の女で共演した沢口靖子さん他、550人もの友人や俳優、芸能関係者の方々が参列しましたが、深浦さんが死去するまで死因も、闘病していたことも知らずにいた方がほとんどでした。
女優という仕事に最後まで情熱を燃やした深浦加奈子さん、最後にどんなことを思いながら逝ったのかな・・・と考えてみたりもする今日この頃です。
今回は『科捜研の女の深浦加奈子の死因は?座ったまま最後を迎えた闘病エピソードも紹介』についてお話しました。
- 深浦栄助 著『加奈子。何をしてやれたかな…―女優・深浦加奈子の父が綴った、大腸ガン闘病記』
- https://ja.wikipedia.org
深浦さんを慕い尊敬する俳優さんたちが大勢いて、深浦さんを懐かしむファンも全国に大勢いる・・・大きな存在の女優さんだったにゃん・・・