レオン映画は気持ち悪いしつまらない?名作は不適切か伝えたいこと疑問と問題を解説

レオン映画は気持ち悪いしつまらない?名作は不適切か伝えたいこと疑問と問題を解説
Pocket

映画『レオン』が名作なのは言うまでもないが、その一方で、つまらないという声もしばしば聞く。

マチルダとレオンの関係を、気持ち悪いと言う人もいるが、この名作に対してその感想は不適切ではないのか?

この作品は、世情に疎く社会的な経験が極端に偏った、大人の男性と少女の恋愛について描かれた物語だ。

アクション映画としての魅力も十分にあり、スリリングで面白いが、根幹となるテーマはレオンとマチルダの関係性だ。

今なら時世的に、このようなテーマは設定に問題があるとして公開が憚られたかもしれない。

元ネタはどこにあるのか?

リュック・ベッソン監督がこの映画を通して”伝えたいこと”とは?

今回はこれらの謎とこのテーマの問題について解説し、さらに名画『レオン』の魅力をフルに味わうために必要なスタンスについてコメントしたい。

 

もくじ

レオン映画につまらない&気持ち悪いは不適切?

この映画を「つまらない」と感じる人の多くは、レオンの人物的な描写に違和感を覚えたり、30過ぎの男性と少女の掛け合いに意味を見出せなかったりするのではないかと思う。

『レオン』に限らず、どんな作品にせよ、作中に理解できないポイントや共感しにくいシーンが出てくると、ストーリーに入りこみにくくなるということはあるものだ。

疑問や不快感を感じながら見ていると、そっちに気を取られてしまい、肝心な場面に突入しても感情移入できなかったり、重要なポイントを見落としてしまったりする。

好き嫌いが左右する部分も大きいから、ある意味仕方ないことではあるが、『レオン』の場合はレオンとマチルダの関係性こそが見せたいテーマなので、ここに興味がない人には本当に作品自体の意味がわからず、つまらないと感じてしまうだろう。

いやそうではない、「愛に年の差なんて関係ない」という崇高な世界観を”映画として”堪能できる人は、まさに名作『レオン』の作品としての魅力を全て理解している人だ。

では反対にこの映画を「つまらない」「気持ち悪い」と感じる人の感性はどうなのだろう?

この映画が伝えたいこと、メッセージを正確にくみ取れていないという点で、感想としては不適切なのだろうか?

 

つまらない&気持ち悪いは感想として不適切か?

わたし個人の感想としては、マチルダのマセ過ぎなところは本当に好きになれなかった。

レオンがマチルダにドキドキしているところも気持ち悪いと思ったし、マチルダの、かぼちゃパンツを穿いた後ろ姿をレオンが目で追うところなどは本当にイヤだった。

自分が12歳の頃、大人の男性に対して気持ち悪いと感じた実体験があるので、そこにリンクしてしまうのだと思う。

大ヒット映画でこのような関係が描かれていると、この映画を観て気持ち悪いと感じる自分は「精神年齢が低いのだろう」、「文芸作品を理解する力が足りないのだろう」、と若干悩むこともあったけど、気持ちというのは生理的なものなので、相手が名画だろうがそれで良かったと思う。

大人になった今となっては、明らかにそれで良かったと思えてスッキリした。

この感覚はもしかしたら、少女の頃の個人的な体験とリンクしてしまう人や、大人の男性と少女の恋愛について独自の見解を確立している人にしか、想像がつかないものなのかもしれない。

次に解説する、『レオン』が公開された当時の社会背景を知れば、今まで私と同じように「自分には理解力が足りない」と悩んだり、諦めていた人たちも「案外そうでもなかった」と思えるだろう。

 

名作『レオン』元ネタの謎と伝えたいことへの疑問を解説

そもそもリュック・ベッソン監督はなぜ、「孤独な暗殺者レオンと12歳の少女マチルダの恋愛」という設定でこの映画を制作しようと考えたのか?

元ネタがあったのかどうか、あったならどこから?という謎に興味を抱く人もいるだろう。

答えはこの映画が誕生した1994年当時の社会情勢を見るとわかる。

この映画が伝えたいこと、メッセージもここから見えてくる。

 

『レオン』の元ネタはどこから?の謎を解説

『レオン』は1994年に公開されたフランス×アメリカ合作の映画だが、その頃フランスでもてはやされていた小説家がいる。

ガブリエル・マツネフ氏( 1936年8月12日 生- 現在85歳)だ。

ガブリエル・マツネフ氏

出展:https://courrier.jp/news/archives/192961/

彼は、自身の体験から、少女との純愛について世界に訴え、賞賛されていた。

マツネフ氏の思想と新しい倫理観に感銘を受けた人は多く、1980年代から90年代にかけて少女と大人の男性の恋愛を綴った映画が次々発表されていた。

『レオン』も当然、その影響下での発表だった。

1989年 『白い婚礼』(仏)
1992年 『ラマン』(仏×英)
1996年 『レオン』(仏×米)

という流れだ。

それらの作品の中でも『レオン』だけはプラトニックな関係のまま作品が完結したこともあり、今でも多くの人から共感を得ている。

本当はマチルダがレオンに迫って初体験をするところまで撮影する予定だったそうだが、ナタリー・ポートマンの両親が大反対して止めさせた、ということらしい。

ともかく、『レオン』が公開された当時、世界にはロリータコンプレックスを美化する風潮があった。

リュック・ベッソン監督もマツネフ氏の思想にヒントを得て、この映画を制作したのだ。

 

伝えたいこと&メッセージとは

リュック・ベッソン監督がこの映画で伝えたいメッセージは、マツネフ氏の主張そのままに「大人の男性と少女の純愛はあり得る」ということ・・・か、

もしくは「こんな状況下なら、こんな美しい純愛もアリではないですか?」という、新しい関係性の提案かもしれない。

映画というのはファンタジーであるからこそ、その世界観を楽しんだりインスピレーションを受けることができる。

レオンとマチルダの関係を、100%フィクションとして受け留める方なら、健全な姿勢で「愛」という壮大なテーマに向き合えるだろう。

 

名作『レオン』に秘められた問題とは

既にご紹介した通り、この映画が公開された背景にはガブリエル・マツネフ氏の思想が反映されていた。

マツネフ氏の主張には賛否両論あり、当然、疑問視する声もあった。

当時から「子供たちの心と身体を守る」問題として議論する声も上がっていたので、リュック・ベッソン監督がしたかったのは、「あなたはどう思いますか?」という純粋な問題提起でもあったのかもしれない。

大人の男性と少女の恋愛についての是非を問う議論はその後もずっと続く。

新たな局面を迎えたのはつい最近のことだ。

ここで改めて名作『レオン』が提起した”禁断の愛”というテーマに、明白な問題が浮かび上がる。

 

名作『レオン』に秘められた問題1 – 少女との愛は本当に”素晴らしい”のか

大人の男性と少女の恋愛を綴った映画が数々登場し、名作『レオン』が誕生した裏で、その流れを牽引した当のマツネフ氏は、テレビ番組で持論を展開するようになった70年代からすでに高名な作家として世を席捲していた。

印税プラス、フランス政府から数々の報奨や年金をもらい、長年優雅に暮らしていたが、2020年、それらの権利をはく奪され、”未成年者に対する不適切な行為”についてパリ検察庁から捜査を受けることになった。

告発したのは、1986年当時マツネフ氏と交際していた女性、ヴァネッサ・スプリンゴラ氏(1972年生まれ – 現在49歳)だ。

ヴァネッサ・スプリンゴラ氏

出展:https://www.maxima.pt/atual/detalhe/aconteceu-me-estar-em-jantares-e-perguntar-quem-nesta-mesa-nao-foi-abusada-agredida-ou-violada-nao-havia-uma-mulher-que-nao-levantasse-a-mao–vanessa-springora

スプリンゴラ氏は、彼女が14歳の少女だったその頃、マツネフ氏とどんな時間を過ごし、それが自身の人生にどう影響したかを著書『同意』に記して発表した。

2020年1月のことだ。

出展:amazon.co.jp

 

ヴァネッサ・スプリンゴラ著『同意』ー 少女と大人の男性の恋愛について書かれた自叙伝

この著書は日本語訳が出版されたのも早かったので私も知ってすぐ読んだのだが、それによると彼女とマツネフ氏の関係は当時、周囲の大人にも公認で、彼女が疑問を感じても母親でさえ「そんなことを言うもんじゃない」とたしなめたという。

マツネフ氏の社会的名声と影響力は、そのくらい大きかったのだ。

興味があればぜひ読んでみてほしい。

14歳で年の離れた大人の男性と恋愛関係に陥ることのリスクが克明につづられている。

この著書を出版するまで、スプリンゴラ氏の苦悩を理解してくれる大人はいなかった。

『レオン』は映画の中だけの世界だと思いがちだが、そうではない。

マツネフ氏は現実の世界で少女たちと恋愛し、それを純愛だと主張していた。

純真な少女との恋愛がいかに崇高で素晴らしいかということを実体験として話し、その話に感銘を受ける大人が大勢いたのだ。

しかし相手が14歳の少女では、感性も人生経験も彼とは全く違うし、その子が受ける影響は、精神的にも肉体的にも、大人の男性とは比較にならないくらい大きい。

たとえそれがスプリンゴラ氏のように、当時はマツネフ氏に対して彼女なりに「確かに恋愛感情を抱いていた」という場合であっても、だ。

それまで大人たちの議論の中に「実体験からトラウマを抱えた少女の証言」というものはほぼ無かったはずだ。

彼らは両者合意で愛し合っているのであり、強制されていたわけではなかったのだから。

スプリンゴラ氏の証言が世に出て初めて「精神的にも肉体的にも発達途上にある未熟な少女」が大人の男性との恋愛に踏み込むというのがどういうことなのか、多くの大人たちに知らしめることになった。

男性側が楽しい恋愛を気楽に享受するいっぽう、彼女たちは大人の男性との恋愛にまつわる数々の困難やハードルを前に、コントロールの効かない感情とホルモンの嵐に振り回されることになる。

さらには社会観や、愛情についての健全な概念を大きく損なうことになってしまうかもしれない。

ところでマチルダの年齢は何才なのか?

 

名作『レオン』に秘められた問題2 – 女の子マチルダの年齢は何才?

この大人びた女の子マチルダの年齢は、12歳だ。

12歳だよ、小学校6年生。

同じ年ごろの男の子にチョコレートあげたりデートしたりは可愛いと思うが、子供は子供なのだ。

レオンが、全力で恋してくるマチルダにドキドキしてしまう気持ちはわからなくもないけど、私はある意味、映画がああいう形で終わり、レオンが生き残らなくてほんとに良かったとさえ思う。

もしくは、絶対にマチルダの誘いを受けず彼女が成人するのを待つなら「さすがレオン!」だけど。

しかしこの映画の素晴らしいところは、レオンとマチルダを見て「こういう状況なら、この恋愛もあり得る」と思えるほど、臨場感があり、二人の人物像をリアルに描けているところだ。

マチルダが12歳でさえなければ・・・!

せめて”初々しさの残る18歳”の少女なら・・・!

”愛に年の差なんて関係ない”と、わたしも思う。

しかし『レオン』が公開されたこの時代、マチルダが12歳であることにこそ、意味があったのだ。

そこがこの映画の考察ポイントでもあるのは、間違いない。

 

未成年者が大人の恋愛で苦労するのは少年も同じ

2006年に公開された同じテーマの映画『愛を読むひと』では、大人の女性と15歳の少年の恋愛について描かれている。

女性との関係が、別れた後もずっと、その後の少年の人生に大きな影響を及ぼす様子が痛々しい問題作だ。

女性の哀しい運命に静かに寄り添う、かつては少年だった男性の、怒りと愛にも胸が震える。

こちらも興味があれば、是非。

 

まとめ

映画『レオン』ついて、

  • この名作を「つまらない」「気持ち悪い」と思うことは不適切なのか?
  • この作品が伝えたいこと・疑問と問題を解説

という2つのポイントについてお話した。

映画『レオン』が名作であることは間違いない。

この作品は人物描写が丁寧で、それぞれの登場人物の心情がよくわかり、伝えたいことやメッセージは強く伝わってくる作品だと感じる。

レオンとマチルダの関係性を完全なるファンタジー、フィクションとして受け留めるなら、この映画から”純粋な愛と心の交流”というテーマを十分に吸収できるだろう。

一方、『レオン』が誕生した背景やネタ元を知ると、伝えたいことやメッセージに疑問を投げかける人が出てくるのも理解できるはずだ。

この映画が伝えたいことは明らかに「大人の男性と少女の美しい純愛」なのだ。

しかしそうした関係には、常に未成年者のほうに重篤なリスクがかかる。

名作『レオン』に秘められた問題はまさにマチルダが12歳という年齢であるところだ。

レオンとマチルダの関係が現実的な概念とリンクしてしまい、この映画を「気持ち悪い」「つまらない」と感じる人がいてもその感覚は不適切とは言えないだろう。

現実的に考えれば、少女との純愛を「素晴らしい」と喜べるのは、大人の男性の側でしかないのだから。

 

追記:

この記事の内容を修正するにあたり、貴重なご意見を下さった方々、本当にありがとうございます。

今後も、説明が足りない部分、理解しにくい内容を見つけたら忌憚なくご鞭撻ください。

自分が思っていないことは書けませんが、意図したことが正確に伝わるよう丁寧な説明を心がけて精進していきたいと思います!

10 件のコメント

    • 映画さん、コメントありがとうございます。
      何か気に障ること書いたんですね、わたし・・・申し訳ないです。
      せっかく見に来てくださったのに、ごめんなさい。

  • コメント失礼します。
    上の方のコメントは言葉が粗暴で私個人としては許容できませんが、
    あなたの感覚は理解できる部分と出来ない部分があります。
    私の意見としては数々の映画の価値観というのは、全てが理解できるわけではないということです。
    ジョーカーとハーレークイン然り、ベンジャミンバトンに然り、(ご覧になっていなかったら申し訳ありません)
    非現実なフィクションの中で教訓や世界観を楽しむことが映像作品の楽しみ方だと思います。
    レオンはマチルダに対して、嫌悪するようなロリコン気質は無いと思います。

    なぜかというと、彼は孤独であり、
    過去の出来事により恋愛や性的な関係をほとんど知りません。
    世間に大量にいるロリコン達を擁護する気は全くありません。ただ単に歳の差だけで名作を酷評することは見聞を狭めることになってしまうと感じているんです。
    通りすがりの映画好きの一意見ですが、参考にしていただけると嬉しいです。

    • りささん、
      その通りですね、率直なご意見本当にありがとうございます。
      わたしもそう思います。

      今回はレオンとマチルダの恋愛を気持ち悪いと思う人もいる、という点について私が共感できる部分を意見として述べました。
      この映画を酷評する気はありませんでしたが、仰るようにそう受け止められてしまっても仕方ない書き方をしたかもしれません。
      いや、タイトル見ると確かに酷評してますね。

      りささんの今回のご意見を伺って、書き方を誤ったことが理解できました。
      近日中に内容を少し修正したいと思います。
      皆さんの世界観やこの映画への愛情を損ねないような書き方に変えるよう、熟慮したいと思います。

      今回いただいたご意見、非常に勉強になりました。
      何をどう書くべきかの指針をひとつ得られたような気がします。

      本当に、ありがとうございます!

  • 私は、この作品に終始気持ち悪さを感じました。

    ただ、私は、ここに書かれていたことような小児愛的な視線を感じませんでした。それは、主人公にそういった性癖を感じなかったからです。それでいえば、ゲイリーオールドマンの方が悪質な人間でしたね。

    文盲というだけではなく多くの部分で精薄な主人公と劣悪な環境で歪な気質に育ってしまった少女との絡み合いは、狂った動物の営みを見せられているようでした。最近の日本映画でもままある身体障害者への性サービスの映画のように、凡庸な見た目の役者でその営み感が堂々と描かれているのであれば、そういう作品だとして見るのですが、結局、スタイリッシュさやアクションのカタルシス感で誤魔化してるようにしか見えなかったことが、私の気持ち悪さの正体だったと思っています。同じリュックベンソンでも、96時間シリーズは、素直に楽しめるのは、その違いだと思います。

    • コメントありがとうございます。
      そうですね・・・演出が素晴らしく見応えのある作品だったので、逆にそれが内容の本質的なところをカムフラージュしてしまっていたかもしれませんね。
      96時間シリーズ、面白いですよね!!

  • 恋愛する相手が大人なのか同年代なのか、そんな事には関係なく大きな影響を受けるのが当たり前だ。
    その影響は様々だが、それが良い影響だとか悪い影響だとかは他人が口にすべき事ではない。
    もはや恋愛にも限定されないが全ての事象や経験は自らの手で人生の糧とすべきものであり、立ち止まり自己憐憫に陥るような人間の告白は価値がない。
    子供を性愛のみの対象とし欺き利用する事は忌むべき物だが恋愛は誰にも止められない。
    そして最後に、暴言を吐いた者にも謝罪し、異なった意見を持つ者の主張にも受け入れ、何事もなかったかのように流れに乗って波風を立てない。
    そこが最も信用ならない部分で、そういう上部の笑顔の気持ち悪さが見るに耐えない。
    それで良いのなら最初から己の主張など発表しなくて良い。
    そもそも全ての考察が独り善がりで甘いし一体何の為の記述なのか訳が分からない。

    • コメントありがとうございます。
      わたしの未熟な記事に目を通して下さり、率直なご意見をいただきましたので、こちらも正直な感想を申し上げます。
      人生にはいろいろあります・・・自分の成長の段階もいろいろなので、この記事を書いた時の私と今のわたしはまた心持ちが違います。
      書いた時には、独りよがりで甘い考察でもその時の私の精一杯でした。
      いろんな方のいろんな視点で、いろんな感想やコメントをいただくことは最初からわかっていることなので、コメント読むのは勇気が要りますが、いつも真っ直ぐ受け留めて自分の考えや気持ちを整理するようにしています。
      それは波風立てないとか、上部の笑顔(意味がわからないですが)とかではないんですよね。・・・
      ご理解いただけなくても構いません。
      何のための記述なのか?
      レオンという作品が多くの人の興味・関心を引く作品なので、そこに個人の考察があれば読まれる方に何かしらのアイディアとか思考の材料を提供できるかもしれない、という思いから記述したものです。
      匿名さんは充分ご存知かと思いますが、自分の心の内にあるものを発表するというのは勇気が要ります。
      今回のようにすごく個人的なことを載せる時は余計、勇気が要りますよ。
      匿名さんが下さったようなコメントをもらうことも覚悟しながら書かないといけないので、大変です。

  • すばらしい論評でした。
    俯瞰してみると「レオン」は、寄宿学校の束縛から逃げ出したかったマチルダが家族とレオンを喪いつつ、「そこ」に戻るというだけのストーリーだと思います。最初から寄宿学校に従順な生徒として身を寄せていれば、レオンと出会うこともなく、いつの間にか家族を喪っていた…ということです。
    どうでしょうか。それは個人の「勝手」の範囲だと思いませんか?
    レオンがマチルダに好意を抱いていても、それは物語の傍流に過ぎない。
    「勝手」の許されない、権力のある年長男性からのいやらしい目線に傷つく過去があった方にとり、不愉快なシーンもあるかもしれません。場合によっては本作品が称賛されることさえ許せない人も許せないひちもいるかもしれません。
    が、レオンは10代からの好意が許されない事だと認識しているし、結局レオンは自分の責任でそのツケを払おうとします。私にはそこがこの映画の美しさであり、見所かと思っています。
    この時代のサスペンスな男女恋愛の結末は、「どちらも自分の責任で自分の命を相手に捧げる」=心中です。でもレオンは半ば一方的にマチルダを生かし、自分は死を選んだ。逮捕されたとしても救急車に乗る明るい道を捨て、仄暗い危険な地下道を選んだ。
    それはレオンがマチルダに対する責任のとりかただったのかなと思います。「本当はマチルダがレオンに迫って初体験をするところまで撮影する予定だったそう」というのも私にとっては雑音に過ぎません。映画は一本しかなく、そのNGカットはその映画への評に値しない。
    年嵩で薄汚い暗殺者レオンは高潔を貫き、不良少女マチルダは寄宿学校に戻った。この映画の描くところはそれ以上でも以下でもないと私は思います。

    • コメントありがとうございます!
      そうですね、わたしもそう思います。
      ブログって、書いてると中途半端にできなくなってついつい深追いしてしまうところが厄介ですね。
      少女の頃のトラウマも、今となってはほぼ消え失せた過去の話です。
      人はいろんなことを乗り越えて、新たな視点を得ていくものですよね。
      今、客観的にこの映画を観察してみて、わたしも特に不快な感情は湧きません。

  • りさ へ返信する コメントをキャンセル

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です