『博士と狂人』原作は実話!実在したマイナーはどんな人物だったのか?画像つきで紹介

Pocket

映画『博士と狂人』は実話だそうですね。

原作の原題は『The Professor and the Madman』ですが、それはアメリカで出版された書籍のほうのタイトルで、元々イギリスで出版された当時のタイトルは『The Surgeon of Crowthorne (クローソーンの外科医) 』でした。

映画でも、ショーン・ペンが演じた狂人マイナー氏の数奇な人生が物語を味わい深くしていたのは間違いないと思いますが、原作も元はといえばマイナー氏のほうに比重を置いて描かれたドキュメンタリーだったのです。

メル・ギブソンは映画を制作するにあたって、映画に登場する実在した人物たちの親族からドラマ化するための承諾を取らなくてはいけませんでした。

どんな風に描いてよいか、こういうシーンを作ってよいか・・・

その中に「マイナー氏と未亡人メレット婦人の関係性をロマンスにして良いかどうか」という項目もあったようです。

マイナー氏の人物像をわかりやすく伝えるための演出が欲しかったのですね。

そうとわかると「本当のところ」が気になってきます。

実在したマイナー氏とマレー博士がどんな人物だったのか、映画のために脚色されたのはどんなところで実際はどうだったのか、今回は調べたことをご紹介したいと思います。

マレー氏の画像もいくつかご紹介しますので、史実通りに再現されたショーン・ペンとも比べてみてください。

 

映画『博士と狂人』原作は実話!実在したマイナーはどんな人物だったのか?画像つきで紹介

『博士と狂人』で描かれていた元軍医のウィリアム・チェスター・マイナー氏とはどのような人物だったのでしょうか?

実在したマイナー氏のプロフィールからご紹介しましょう。

 

ウィリアム・チェスター・マイナー氏のプロフィール

出展:https://www.pinterest.jp/pin/552465079263112584/?nic_v2=1a6lGKWVV

プロフィール

名前:ウィリアム・チェスター・マイナー(William Chester Minor)
生年:1834年6月22日 – 1920年3月26日 (享年85歳)
出身地:セイロン(現スリランカ)
学歴:イェール大学(医学校)卒業
職業:外科医(専門分野:比較解剖学)

軍での経歴:1863年~1871年
肩書:北軍将校(軍医)

ウィリアム・チェスター・マイナー氏は、スリランカで生まれました。

父親はアメリカ合衆国ニューイングランドから移住してきた宣教師で、マイナー氏の母親は父親が最初に結婚した女性でした。

その後、父親が何度も離婚再婚を繰り返してそのたびに異母弟妹が増え、マイナー氏には大勢の異母弟妹がいたそうです。

14歳になるとマイナー氏はアメリカに送られ、そこで親族たちと暮らしながら軍事学校(ラッセル・ミリタリー・アカデミー)を卒業しました。

この学校はすでに廃校して現存していませんが、当時ここを卒業すると近くのイェール大学かウェストポイント大学に進学するのが一般的で、この学校には商業を学ぶコースもあったそうです。

マイナー氏はイェール大学で医学を学び、母校の軍事学校で生徒に勉強を教えたりウェブスター辞書の再編を手伝うアルバイトをしたりして学費を払いながら、自力で卒業したそうです。

ウェブスターといえば「アメリカの学問・教育の父」と呼ばれるノア・ウェブスターが19世紀に編纂した辞書です。

アメリカでは「辞書といえばウェブスター」というくらいのトレードマークとなっています。

マイナー氏は、このノア・ウェブスターの助手としてOEDのずっと前から辞書の編纂作業をしていたんですね。

1863年、マイナー氏は晴れて外科医となるのですが、当時アメリカは南北戦争(1861-1865年)の真っただ中でした。

医療現場に出たのもつかの間、マイナー氏はすぐに北軍の軍医として招集を受けたのでした。

 

マイナー氏は人望の厚い人物だった

映画でも描かれていたように、マイナー氏は「危険な精神病患者」として認識されていました。

イギリスで最も古く、最もセキュリティが厳重な精神病院といわれるブロードムーア病院に収監されていたのです。

「えぇあの病院?やばくない?」

と、当時聞いた人なら誰でも言うような有名な精神病院です。

しかしそんなところで生活していても、マイナー氏が孤独に陥ることはなかったそうです。

持前の知性と人柄が、周りの人たちの興味と関心を惹きつけ、やがて信頼関係が生まれることになっていったといいます。

人望が厚い人だったんですね。

映画の中で、刑務官のマンシーやメレット婦人との信頼関係が築かれていく様子が描かれていたのは、実際にあったことを脚色したストーリーだったということです。

 

マイナー氏が荒野の戦いに出向いた記録はない

南北戦争での凄惨な経験により、マイナー氏はPTSDを患うことになりました。

幻覚から、全く罪のない通りがかりの民間人メレット氏に発砲し、殺人犯として捕らえられてしまいます。

このPTSDの直接的な原因となったのが、”荒野の戦い”(1864年5月5日~5月7日の3日間)で起きた焼き印の事件だといいます。

そこでマイナー氏はあるアイルランド人の兵士に対して、頬に「D」の焼き印を押すよう命じられたのです。

「D」とは”Deserter=脱走兵”の意味です。

「軟弱な脱走兵の精神を叩き直すための医療行為である」として、軍医であるマイナー氏がその役目を負わされたらしいのですが、このマイナー氏自身の訴えは後に物議を醸すことになりました。

北軍が当時、兵士への罰則として「D」のランクづけをするなどという慣習はなかったというのです。

つまりマイナー氏がアイルランド人兵士にDの焼き印を押させられたという話は、真偽が怪しいということです。

また、マイナー氏の従軍履歴には、荒野の戦いに出たという記録がありませんでした。

記録によると、マイナー氏が現地の病院に出向したのは荒野の戦いが終わった後の5月17日だったのです。

これを踏まえてわたしが思うに・・・このDの焼きゴテ事件自体も、マイナー氏の幻覚だったんじゃないでしょうか。

マイナー氏は後に統合失調症と診断されましたが、この病気もストレスが発症の要因になるそうです。

マイナー氏がDの焼き印を押した相手というのはもしかしたら、戦争から逃げ出したかったマイナー氏自身を投影した幻覚だったかもしれません。

自分自身をDの焼きゴテで罰しようとしたのかもしれないし、それは幻覚でしかなくてもマイナー氏自身の中では十分に苦痛を伴う経験であったのかもしれません。

そしてそんなむごい仕打ちをした戦争に対する憎しみを自分自身に投影させて、戦争被害者から追われているのは自分なんだと信じ込んだのかもしれません。

・・・などなど、いろいろと考えたのでした。

 

メレット婦人は本当に読み書きができなかったのか?

映画の中でマイナー氏が、図らずも未亡人にしてしまったメレット婦人と子供たちに文字を教えるシーンがあるといいます。

これはマイナー氏とメレット婦人の間に信頼関係が生まれる過程を表現するために作ったエピソードなのでしょうか、もしくは本当にメレット婦人と子供たちは読み書きができなかったのでしょうか?

調べたところによると、産業革命が終わったとされる1840年以降、イギリスの識字率は男女共に急速に上昇していたことがわかりました。

女性は1840年時点では50%の識字率だったのが、その後1900年までの60年間で90%以上の人が読み書きができる社会になっています。(下図参照)

マイナー氏がメレット婦人や子供たちと交流したのは、マイナー氏の発砲事件が起きた1871年以降なのでイギリス社会ではちょうど識字率についての意識が高まっていた時期だったといえます。

みんなが文字を読んで書けるようになろうとしていた社会では、マイナー氏がメレット婦人や子供たちに文字を教えたいと申し出れば、受け入れてもらいやすい環境だったと言えるのではないでしょうか?

本当にそうだったかどうかは確かめられませんでしたが、信ぴょう性のあるエピソードだと思いました。

メレット婦人がマイナー氏の病棟をたびたび訪れ、OEDの編纂に有用な古文書を届けていたというのは事実のようなので、いずれにしても二人の間に加害者と被害者という関係を超えた信頼関係が生まれていたのは間違いないとわかりました。

出展:https://www.researchgate.net/figure/Literacy-in-England-1580-1920_fig3_228553349

 

マレー博士とマイナー氏の髭には違いがあった?

今回、調べた中で面白かったと思ったのは、マレー博士とマイナー氏の髭についての情報です。

映画の中ではまるで二人が鏡映しのように、同じような髭の風貌だったという演出がされていました。

初めてマレー博士が訪ねて行ったとき、マレー氏が面白そうにマイナー博士の髭を触るシーンがトレイラーにありましたよね。

しかし実際には、マレー博士の髭は真っ白で、マイナー氏の髭はグレーだったんだそうです。

映画では意図的に二人の髭を白とグレーの混ざった同じ感じの色にしてありました。

まぁ、そこを除いても実在したマレー博士とマイナー氏は外見が似ていたとは思いますけどね!

出展:https://edsays.catchplay.com/sg/ed-says-article-3054-tdrg5vaa

 

参考サイト一覧:

https://theprofile.substack.com/p/what-the-dramatic-origin-story-of
William Chester Minor-Is that in the Oxford English Dictionary?
https://edsays.catchplay.com/sg/ed-says-article-3054-tdrg5vaa
https://ourworldindata.org/grapher/historical-literacy-in-england-by-sex

 

まとめ

映画『博士と狂人』の原作が実話だったと聞いて、狂人ウィリアム・チェスター・マイナーとはどんな人物だったのか、興味が湧いて調べました。

実在したマイナー氏は、映画の中だけでなく実際にも周囲の人たちから慕われる、人望の厚い人物でした。

南北戦争時は北軍の軍医を務め、戦後のPTSDから命を狙われているという幻覚を見てメレット氏に向けて発砲してしまったのです。

病の引き金となったのは、マイナー氏が証言した荒野の戦いでの「D」の焼きゴテ事件ですが、実際に北軍が兵士への処罰にDのランク付けをしていたということはないそうなので、この焼きゴテ事件そのものも、マイナー氏の幻覚で思い込みであった可能性が高いとわかりました。

マイナー氏が未亡人となったメレット婦人と子供たちに文字を教えたエピソードは、当時のイギリスの識字率が急速に上がっていた時代だったことも考えるととても自然で信ぴょう性のある話です。

いずれにしろマイナー氏の病棟にメレット婦人がたびたび訪問して古書を届けていたのは事実だったということもわかりました。

マレー博士とマイナー氏の髭は実際には色に違いがあって、映画で演出されていたようなそっくりではなかったようですが、それを脇に置いても画像を見るとお二人は風貌もとても似ていたようです。