二ノ国映画の声優が酷い?ジブリ出身作のアニメがなぜゴミと酷評されるのかレビュー感想

二ノ国映画の声優が酷い?ジブリ出身作のアニメがなぜゴミと酷評されるのかレビュー感想
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2019年公開の映画『二ノ国』を観ました。

後で知って意外だったのですが、この映画の監督はジブリの出身なんですね・・・いや、この作品自体にはジブリの片鱗を感じさせるものはありませんでしたが。

巷では何かと酷評されてしまっている映画『二ノ国』は、なぜゴミとまで揶揄されてしまうのか?

今回作品を観た感想とレビューを他の方が酷いと酷評しているポイントも踏まえてご紹介したいと思います。

まずは『声優が酷い』というポイントから。

アニメ映画の印象を大きく左右するのは(絵は言うまでもなく)声優ですよね。

 

もくじ

二ノ国映画の声優が酷い?

映画『ニノ国』は、「面白い!」「神作品!」と絶賛するファンがいる一方、酷評されることも多い映画のようです。

わたしは、正直言ってそこまで情熱を込めて「酷い!」「ゴミ!」と言う気力はありません。

むしろそれほどの感慨さえ沸かなかったというべきかも。

元々アニメが大好きというわけでもないし、ポスターや予告は前に見たことがあったのでそれほど期待していなかったというのもあります。

つまり、ポスターや予告を見た時点で心惹かれる点はほぼ無かったというのが正しい印象なんでしょうね。

実際に作品を観た感想もいろいろあるのですが、まずここでは、巷でよく聞かれる「声優が酷い!」という評価について触れたいと思います。

映画『ニノ国』概要

公開日:2019年8月23日
監督:百瀬義行
脚本:日野晃博
原案:日野晃博
原作:レベルファイブ
製作:小板橋司
製作総指揮:日野晃博(製作総指揮)/小岩井宏悦(エグゼクティブプロデューサー)
主題歌:須田景凪「MOIL」
音楽:久石譲

【キャスト声優一覧】
ユウ 山崎 賢人
ハル 新田 真剣佑
コトナ/アーシャ 永野 芽郁
ヨキ 宮野 真守
サキ/ヴェルサ 坂本 真綾
ダンパ 梶 裕貴
ガパラス 津田 健次郎
バルトン 山寺 宏一
フランダー王 伊武 雅刀
お爺さん ムロツヨシ
その他の声 水瀬遥、せりしゅん

 

声優が酷い!酷評トップはコトナとアーシャの永井芽郁?

声優が酷い!という感想のトップに来るのはコトナ/アーシャ役の永井芽郁さんらしいです。

「キャラクターに合わない」
「棒読み」

など、声の質と演技の両方に厳しい意見が飛んでますね。

まぁ、わたし個人の感想でいえば、永野芽郁さんの声自体は好きでしたよ。

落ち着いた、かすかにハスキーな声が耳に心地良かったです・・・ただ、「棒読み」というのは共感するかな。

ところどころ滑舌が悪くて”舌っ足らず”なところも、個人的には可愛く思えてクスッと笑っちゃったけど、そんな風に思うのはわたしを含めた少数派なんだろうというのも予想がつく。

アニメ大国日本で、耳の肥えた声優ファンたちにとって、”舌っ足らず”は声優としては絶対あって欲しくない落ち度かも。

いずれにしろ「この声がキャラに合ってない」と思う人には、永野芽郁さんの声と演技は、あまりにも落ち着いちゃってて、華やかさとか可愛さに欠けるのかもしれませんね。

彼女の声と演技なら、むしろお母さん世代の役のほうが合ってるかも?

抑揚がないところが大人らしく聞こえて、かえって良いかもね。

 

ハルは能天気で頭悪そう

この作品で一番イラっときたのはハルです。笑

バスケ部でファンの女子も多い人気者らしいですが、恐ろしく単細胞で能天気なキャラに見えます。

声を演じているのは新田真剣佑(あらた まっけんゆう)さん、千葉真一さんの息子さんですね。

アニメ出演は初めてのようだけど、声の演技がそれほど悪かったとは思えないし、声自体も普通に悪くない。

だとしたらやっぱり脚本とセリフが悪すぎる、というのが足引っ張ってるのかな。

明るいキャラを上手く演じたら、逆に頭悪そうな、浅はかで能天気な印象になってしまった、という感じかも。

 

ムロツヨシのお爺さんは良い!もっと出せ笑

出番が多くなかったのが残念ですが、オープニングの屋上のシーンで、魔法の杖を振り回してる二ノ国のお爺さん、あれがムロツヨシです。

ムロツヨシは良かった。

さすがにどんなセリフでも上手いよ、ドラマチックに聴かせてくれる。

もっと出して欲しかった。

 

せりしゅんの役

人気ユーチューバーのせりしゅんさんも『二ノ国』に出演しているそうですね。

どの役を演じているのか、調べてみたのですが特定の役の名前が出てこないので、わかったらこちらにアップデートいたします。

 

ジブリ出身作のアニメがなぜゴミと酷評されるのか?レビューと感想

ここからは脚本含めた映画全体について、なぜこの作品が「ゴミ」と揶揄されるのか、酷評される理由について考察したいと思います。

多くの方が、大きく分けて次の4点について感想を述べています。

  • キャラクター設定
  • 脚本とセリフ
  • 作画
  • 障がい者への向き合い方

これらのテーマについて、わたし自身の感想を他の方の評価、レビューとすり合わせつつ紹介します。

 

キャラクター設定

今回はゲームを知らない一般の人たちも見られる、映画というカテゴリーでのストーリー展開となるため、主人公の少年2人は高校生、ヒロインも高校生という設定になったのでしょう。

まず、わたしがキャラクター設定について良かったと思うところを述べます:

  • ハルとコトナが変にイチャイチャしていないところは爽やかで良かった
  • コトナとアーシャ姫が、どちらも真っ直ぐで変に小悪魔的な性格でないところも好感が持てた

すみません・・・一生懸命考えてみたけど、キャラクター設定で良かったと思うところはこのくらいでした。

じゃあどこが良くなかったと思うか。

  • ハルが馬鹿すぎる
  • 二ノ国のキャラクターがみんな平面的でつまらない(作画の問題もあると思うが)
  • ユウとハルのキャラクターが対照的過ぎて「二人でひとり(命がつながっている)」という感じには全く思えない

ユウの勇敢さ、車椅子にもかかわらず果敢にコトナを救出しようと飛び出していくところとか、常にハルより先に物事を見通す力とかが優れている分、余計にハルの単細胞ぶりが際立っていて、失笑を禁じ得ないという感じです。

「命のつながった者同士は好きなものが似ていたり、性格が似ていたり」するそうだけど、はっきり言ってハルとユウの共通事項はコトナを好きなことだけだと思う。

バスケ部で女子にモテモテの人気者ハルの彼女だよ?

ユウ以外にもコトナに片思いしてる男子はたくさんいるだろうし・・・なんでそのことだけで二人の命がつながってる証になるのやら。

しかも、性格も全然違うと思う。

ユウは自分が車いすだという負い目からハルの馬鹿さ加減にも目をつぶっているのか?

内心「こんなバカと付き合ってらんねー」と思ってやしないだろうか?

だってユウが何か意見を言うたびに馬鹿なハルは「お前のおとぎ話には付き合ってらんねーよ」だの「どうだっていいだろ、そんなこと」だの、いちいち小馬鹿にしたり否定するんですよ。

見てるこっちが腹立ちます。笑

あと、二ノ国のキャラクターたちが没個性的でつまらない。

平面的で大した個性もなくて本当につまらないですが、これも作画のクオリティによって印象が大きく変わる部分でもあると思います。

あと、本来王位継承者だったのに不幸な身の上から家来の立場になってしまったヨキは、「実の父親から抹殺された」「死から蘇った」という壮絶な過去を持っているのに、その事実が全く重く感じられない。

ヨキはもっと魅力的なキャラクターとして描かれてしかるべきではないかと思う。

そういうことを言い出すと、命の重さもこの映画では非常に軽く扱われているように感じるので、続きは「脚本の問題点」で述べようと思います。

 

脚本の問題点

まず、とにかくセリフ廻しが野暮なんですよ。

特にハルとユウの、二ノ国に着いてからのやりとりが「なんだこれ?」レベルでヤバいです。

見てりゃわかることをわざわざ「あれ、コトナがいない」だの「まぁ考えてもしゃーないな!楽しもう」だの、頭悪すぎ。

せっかくアニメなんだから、そういうことは画で伝えて、ユウとハルにはもっと物語の核をつくるような、深いセリフのやりとりをして欲しかったですね。

 

ニノ国はどこにあるのか?

例えば、二ノ国はどこにあるのか?
同じ地球の、別の次元に存在している国なのか、
もしくは人間の無意識の世界に存在していて、誰しも夢で見たことがある世界なのか、
もしくは全く別の銀河系にある惑星にワープしてたどり着いた世界なのか、とかね?

二ノ国の住人は、一ノ国で命がつながっているもう一人の自分が幸せを感じると自分もパワーアップする、とか?

一ノ国と二ノ国の関係性や命のつながりについて、もっと説得力のある世界観を伝えて欲しかったなと思います。

あまりにも全体的に薄っぺらいので、まるで感情が動かないのですよ。

あ、でもこの映画で今言ったような世界観を伝えようとすると、全部が誰かのセリフで説明するだけに終わってしまうかも。

そうじゃなくて、画で見せてそれに沿ったセリフ廻しでストーリーを展開して欲しいんだけど。

 

黒幕ヨキはなぜ敵となったのか?

先ほど述べたヨキの過去についてもそうです。

子供のころのヨキはどんなだったのか、どんな幸せや悲しみがあったのか、命を再生して蘇ったと説明していたけど、どんな風に?

そういう、なぜヨキが敵になったのかという経緯をヨキの顔のアップで口だけパクパク、全部セリフで終わらすんじゃなく、アニメなんだから回想シーンで見せて欲しかったし、命の再生が行われた現場も画で作り込んで見せて欲しかったですね。

そうすればヨキという人物の人間像がもっとはっきりしてきて、ヨキファンが出てきたりしたと思うのに。

あと、よくわからなかったはヨキとアーシャ姫たち王族の関係性かな。

ヨキのお父さんは王様(アーシャのお父さん)のお兄さんだったと解釈しているけど、間違ってるかな?

アーシャとヨキは従兄妹同士で間違いないかな?

どうでもいいけど、そういうところも昔の回想シーンなんかがあればもっとわかりやすかったと思います。

 

ハルとユウの関係性

それを言えば、ハルとユウの関係性ももっと具体的に描くべきだったのでは?

最後のほうに出てきたハルの回想シーンでユウが飛行機事故で一人だけ生き残った子どもだと知ったくらいで、ユウとハルがそれほど強い絆を育むような関係性だったとわかるようなエピソードはまるでなし。

一度、いじめられていたハルを車椅子のユウが助けて「お前、車椅子だけど強いな!」と言った、というエピソードがありましたが、それだけではあまりにも弱い。

だって二人とも全然似ても似つかないし、性格も全然違うし。

あ、でもそこだけ修正しようとするとこの映画だったら、コトナにセリフを一言言わせて終わるのがオチかも。

「なんだか二人似てるよね」とかなんとか。

で、見てるこちらは「へぇそうなんだ。どの辺が?」と、疑問を持ったまま終わる。

現にそういう描写がまるでなってないから、最後にハルが明かした「ユウの正体」を聞いて、思わず失笑してしまったのですよ。

「今わかったよ・・・ユウ、お前はもう一人のオレだったんだ」

へぇ!そうだったの・・・どこが?

って。笑

「ユウがコトナに片想い」は要らない

二人ともコトナが好きっていう共通点があってもこうなんだから、逆にユウがコトナに片思いしている設定を無くして、もっと二人の幼い頃からの友情と絆を掘り下げていったほうが良かったんじゃないでしょうか?

コトナ以外の共通点ももっとちゃんと創り出してね。

他の方が書いていたけどユウが二ノ国でアーシャ姫を好きになったことが「一ノ国でコトナと上手くいかないからこっちでコトナに似た別の子と恋愛すればいいや」っていう感じに見えてムカつく、と。

確かにそういう風に見えるし、わたしにはハルとコトナもそんなに仲睦まじいカップルにも見えず、ユウも含めた3人が「仲良しグループ」のように見えたから、むしろ”ユウがコトナに片思い”という描写を全部取っ払って、ユウが純粋に二ノ国で出会ったアーシャ姫を好きになり、「あれ・・・でもアーシャってやっぱりコトナに似てるかもね」となるほうが説得力があったんじゃないかなぁ?

だってユウはコトナに似たアーシャを好きになったけど、ハルはアーシャに見向きもせず「コトナを救うためにアーシャを討つ」とまで言ってるんですよ。

「アーシャも可愛いよね」とか「良い子みたいだから討つなんてかわいそうだ」とか、ハルだってほんの少しでもそう思わないんでしょうか?

 

命選んでない

最悪なのはキャッチコピーの「命を選べ」が、実際に映画を観ると「別に選んでない」というオチ。

コトナとアーシャの命を選ばなきゃいけないと思っているのはハルだけ。

しかもハルは選ぶというより「コトナのためなら他の人を犠牲にするのは厭わない」と言ってしまっているから、選んでさえいないです。

 

作画

先にも書いた通り、わたしは元々、アニメ大好きというわけではありません。

でも、わたしの人生は宮崎駿と高畑勲コンビの『アルプスの少女ハイジ』で始まり、『赤毛のアン』や『母を訪ねて三千里』を経て”『風の谷のナウシカ』で自我が芽生えた”いう世代なので、アニメに感動する心はもちろん持ってます。笑

近年では新海誠作品の画力には圧倒されるものがあったし、それとはタイプが全く違うアニメなのに『鬼滅の刃 無限列車編』も感動の嵐でした。

で、映画『二ノ国』を観ると・・・

やっぱりねー、画力が・・・奥行きをまるで感じないのは作り込みが弱いからだと思います。

他の方が書いてる「(映画『二ノ国』は)遠くにいる人間の描写が”棒立ち”」という点についても、例えばナウシカの場合はここまでやってます↓

見えますかね・・・後ろの飛行船の中にいる人たち。

一番奥の窓から身を乗り出して見ている二人の手前のひとりは窓枠に肘をついているのが見えます。

前の人が半身乗り出してるから、後ろのもう一人は立ち上がってもっと乗り出さないとナウシカたちが見えないんですね。

これは蟲を誘導して腐海の森に還そうとしているところです。

後ろで見守る村人たちはそれぞれ、表情もポーズも違うのがわかります。

これはナウシカひとりの絵ですが、このくらいのサイズの人たちを描いている画が『二ノ国』だとみんな腕を下にだらりと下げていたり動きに乏しく、顔だけ正面を向いているような印象なんですよね。

あとは陰影のつけ方とか細部の描き込みが圧倒的に足りないんでしょうね。

ナウシカと新海誠をここに載せて比較なんて酷でしょうか・・・いや、お時間ある方は見てみてください。

まずは『二ノ国』の予告から。

うーん・・・なんでこんなに物足りないんだ・・・いや、普通にテレビの30分アニメならこのクオリティで全く問題ないと思うんですけど、劇場で観る映画となるとこれでは・・・

ではダメ押しでナウシカと新海誠作品をどうぞ。

 

車椅子と障害者への向き合い方

今となっては当たり前だけど、「障害者だから、車椅子だから、不幸」という見方はもう古いですね。

何かあっても本人の工夫や努力、周りの支えでそれを乗り越え、最大限にやりたいことを実現して幸せに生きて行く、というのが現代社会の方向性です。

いろんな方が言っている「クレープ屋に続く長い階段」の件は、映画『二ノ国』の障害者への向き合い方が時代に逆行していると言わざるを得ません。

下校途中、クレープ屋に行こうかと話すハルとコトナに車椅子のユウが「邪魔者は退散するよ」と言って一人去っていきます。

クレープ屋に行くには長い石の階段を上がって行かなくてはいけないそうです。

「なんかユウに悪いことしちゃったね」と言いますが、ラストのシーンでは”邪魔者”のユウが永遠にニノ国に消え去ってしまったことで、ハルとコトナは心おきなく長い階段の道を通ってクレープ屋に行ける、という展開なのです。

なぜ、こういう描き方が共感を得られると思ってしまうのか?

そこは、非常に謎ですね。

ハルがコトナのためにアーシャを討つと悩んだり苦しんだりせずに簡単に決断するところも、ユウが二ノ国では車椅子ではなく健常者で、二ノ国に残ることを決めたおかげで健康な体とアーシャ姫という伴侶を得てめでたしめでたし、という結末も、あまりにも安易でご都合主義すぎます。

障害者や車椅子の方が見たら「障害者のままでは幸せになれない」という間違ったメッセージを受け取ることになるのではないか、とは考えなかったのでしょうか?

脚本/原案を手掛けたゲームクリエイターの日野晃博さんは下記のインタビューでこう語っています。

日野:一ノ国と二ノ国を行き来する葛藤を描きたかったんです。ユウはどうしても二ノ国に行きたい、ハルは二ノ国よりも本当の恋人がいる一ノ国に戻りたい。

親友であったはずの2人の心が分かれていく状況を作り出したいと思いました。なのに世界を移動するには2人一緒じゃないといけないということも上手く働いています。

「二ノ国にいたい!」って思うのは難しいんですよ。普通は自分の世界に戻りたいんです。

二ノ国にいたいと思うためにはそれなりの理由がないといけない。そこで考えたのは二ノ国の姫を好きになること。

さらに現実世界では不自由な体も自由に動けるようになる。そうなると「ずっと二ノ国にいたい!」と思いますよね。

animate Times : https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1564126511&p=2

つまり、日野さんがフォーカスを当てたかったのは”ユウが二ノ国に留まる理由”としての「アーシャ姫」と「健常者になれる」だったんですね。

でもこれは誤算でしたね。

ゲームの世界ならそれも良かったでしょうが、映画となると視聴者の枠が格段に広がるものですし、視聴者はその映画が発するメッセージをダイレクトに受け取るものなので・・・

「映画の役割」について、もっと根本的に考えて制作すべきだったかもしれませんね。

 

男性ウケは良いらしいダンスシーン

ここはサラッと。

女性のわたしとしては、二ノ国の大衆食堂で女性がポールダンスを踊るとか、アーシャ姫が病を治すために湖で舞を舞うとか、男性目線のお楽しみポイントにしか見えなくてイヤなんですけど、確かに男性ウケは良いらしいです。笑

もうひとつ言うとコトナが暴漢(犯人はヨキ)に刺されるシーンは、わたしにはこの映画で一番衝撃的で、しかもお腹に短剣が食い込むシーンが(ほかのお粗末な描写に比べて)やけに生々しく、子供に見せたくないなと思いました。

 

まとめ

こんなに長々書くことになるとは思わなかった映画『二ノ国』の感想&レビューですが、ようやくまとめまで来ました。

この映画が大コケした理由・・・なぜ巷で酷評されるのか?

問題点は数々あれど、やはり全体的に詰めが甘いんですな。

わたしの感想やら考察はまだ優しいほう。

ゴミと酷評する人たちはむしろアニメに対する思いや情熱が強い分、期待も大きかったんだと思うのですよ。

作画も脚本も、キャラクター設定も声優も、下手と言ってしまえばそれまでなのですが、要はもっともっと緻密に作り込むべきだったということだと思います。

監督はジブリ出身だけど、ジブリ作品とは似ても似つかないレベルに留まってしまいました。

ゲームと違い、映画には本来、視聴者の価値観を揺さぶったり、影響を与える力があるものなんですけど・・・命の重さの描き方や車椅子の人たちへの向き合い方など、逆に良くない影響を与えそうな失敗もあり、残念でしたね。