グリーンブック批判の”なぜ”を解説・実話との違いとモデルのその後について

グリーンブック映画のその後・実話との違いと批判の”なぜ”を解説
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映画『グリーンブック』のその後については、本編の最後に実際の写真とテロップが流れて、大体の成り行きがわかったと思っていました。

ドン・ドクター・シャーリーはトニー・ヴァレロンガとのかけがえのない友情を得て、生涯ふたりは親しく交流し、トニーはその後クラブの支配人に昇進した、と。

だからわたしは、このエンディングのテロップで語られていなかった部分について、さらに詳しいエピソードを調べて書こうと思ったのです。

モデルとなったドン・シャーリーさんとトニー・ヴァレロンガさん自身のその後についてのエピソードです。

しかし・・・実際は映画には実話とは違う部分があったことを知りました。

ではどこまでが実話の通りだったのか?

今回はその”実話と映画の違い”と、本作について批判が出ているのはなぜなのか、解説したいと思います。

 

もくじ

グリーンブック・アカデミー賞受賞作品が批判されたのはなぜか?解説

「アカデミー賞を受賞したから」批判されているわけではないと思うのですが、受賞したことによって、さらに評価が厳しくなっている部分はあるように思います。

批判の対象になっているポイントは大きく分けて3つ:

  1. 白人が作った白人目線の映画であること
  2. 人種差別問題を爽やかなエンターテインメント映画にしてしまったことへの危惧
  3. 事実と異なる点が多い

 

そしてこれらが全て1つ目の「白人が作った白人目線の映画」という一言に集約できてしまうことに問題があるようです。

一つずつ解説します。

 

批判ポイント1:白人が作った白人目線の映画であること

『グリーンブック』が公開された2018年には、黒人の映画監督が人種差別問題をテーマに制作した映画が他に何本もありました。

いわば「差別される側」の人の目線から撮った、シビアな現実を伝える作品です。

  • ブラック・クランズマン 2018年(原題:BlacKkKlansman / 監督:スパイク・リー)
  • ヘイト・ユー・ギヴ 2018年(原題:The Hate U Give / 監督:ジョージ・ティルマン・Jr)
  • ブラインド・スポッティング 2018年(原題:BLINDSPOTTING / 監督:カルロス・ロペス・エストラーダ)

などなど。

映画の果たす役割の一つには「作品を通して人々を啓蒙し、社会問題に向き合うきっかけを作る」というものがあると思います。

これら黒人監督による”差別を受ける側の視点”で社会を捉えた作品のほうが、人種差別問題の現状を正確に伝えているだろうとは思うのですが、にも関わらず、アカデミー賞を受賞したのは白人監督による、白人目線のエンタメ映画。

”人種を超えた友情と絆”を爽やかに綴った、ハートウォーミングストーリー『グリーンブック』なのです。

そりゃ納得いかない人がいても仕方ないですよね。

スパイク・リー監督もその一人でした。

彼はアカデミー授賞式で『グリーンブック』の受賞が発表された途端、腹を立てて会場を出て行ってしまったのです。

差別やいじめは、被害を受ける側の苦しみをみんなが理解することが大事ですよね。

アカデミー賞はまぁ、”ハリウッド業界の身内投票”という性質が否めない賞ではあるので、なんとも致し方ないところではありますが・・・あまり露骨に白人優勢だと・・・残念といえば残念ですよね。

 

批判ポイント2:人種差別問題を爽やかなエンターテインメント映画にしてしまったことへの危惧

映画『グリーンブック』は1960年代の南部を舞台にしたストーリーです。

作品を観ると「かつてアメリカにもこんな時代があった」と、まるで人種差別が過去のことのような印象を受けてしまいかねないところに批判を受けるポイントがあります。

とりわけ現在のアメリカは、人種差別問題が国を分断しかねない状況を作っていますね。

「一人一人が、差別によって苦しむ人たちがいることを自覚し、解決に向けて行動を起こさなくてはいけない時に、この問題をこんな風に「爽やかな友情で全て解決!」のようなお気楽な娯楽映画にしてしまって良いのですか!?」

というのが批判すべき大きなポイントとなっているのです。

いつから人種差別問題はこんなお気楽なエンタメで語られるようになったのだ?
アメリカが今みたいな”Black Lives Matter”運動のさ中じゃなかったら、もうちょっと楽しく観られたかもね

などなど。

ただ、こういう批判をしている人たちは黒人というよりむしろ白人の人たちだと思います。

人種差別問題を、”社会問題として”真剣に考え、向き合っている人たちからの冷静な批判ですね。

 

批判ポイント3:事実と異なる点が多い

この作品を批判している人たちの中には、すでにモーリスさんの証言をご紹介した通り、ドン・シャーリーのご遺族の方々もいます。

彼ら曰く『グリーンブック』は「私たち(黒人)の物語ではない。彼(トニー)の物語であり、彼ら(白人)が作ったフィクションだ」そうです。

批判ポイントの3つ目は、「実話を元にした映画」としながらも、映画制作側の白人目線で勝手に脚色し、事実と異なる点を多く取り入れてしまっていることです。

ドン・シャーリーのご遺族の個人的な抗議とは、

「黒人は常に白人の思い込みが作り上げたステレオタイプを押し付けられてきた」

という主張と

「映画『グリーンブック』に描かれたドン・シャーリーも白人側の勝手な思い込みによって作られたキャラクターで、彼自身ではない」

という主張なのです。

自分たちの真実の姿を歪めて伝えられること、しかも相手の都合のよい風に作り替えられて伝えられることは、誰にとっても気持ちの良いものではないはずです。

それがアカデミー賞を取り、より多くの人に「実話」として広まってしまうのを黙って見ていることはできなかったのかもしれません。

また、ドン・シャーリーのご遺族でなくても、この映画の友情を実話として鵜呑みにしてしまうのはどうか?と疑問を呈する映画評論家もいます。

まさに「人種差別問題を実際よりも軽く、楽観的に捉えることになってしまうのではないか?」という危惧です。

これらのポイント、確かにどれも一理あるとは思いますが。

 

グリーンブック映画モデルのその後・実話との違いとは?

「ドン・ドクター・シャーリーとトニー・ヴァレロンガの友情は生涯続いた」。

映画のエンディングで流れたこのテロップは嘘ではありませんでした。

そしてテロップにあったように、二人は本当に数ヶ月の違いで同じ年にこの世を去りました。

でもこれだけ聞くと、あたかも二人が大親友で、共に年をとり同時にこの世を去ったかのように受け取れませんか?

わたしはそう思っていました。

でも・・・現実はそこまでとはいかなかったようです。

正直、知ってちょっとショックを受けたところでもあるので、夢を壊されたくない方はこの辺で読むのを止めましょう。

簡単に言うと、二人の友情についてはトニー側とシャーリー側で見解にだいぶ開きがあったということらしいです。

では映画で語られたストーリーはどこまでが実話でどこからが違っていたのでしょうか?

 

映画『グリーンブック』はどこまで実話?事実と一致している点を紹介

映画『グリーンブック』は実際に多くの点で実話の通りにエピソードを盛り込んであります。

具体的にどこが事実と一致しているのかご紹介しましょう。

  • トニーはドン・シャーリーの運転手をする前までは本当に差別主義者だった
  • ドン・シャーリーは本当にカーネギーホールの上に住んでいた
  • ドン・シャーリーは本当にトニーに手紙の書き方を指南していた
  • トニーは本当に警官を殴って逮捕されていた
  • ドン・シャーリーは本当にロバート・ケネディに電話をかけていた
  • ドン・シャーリーは本当に同性愛者だったらしい
  • ドン・シャーリーは本当にスタンウェイでしか演奏しないというポリシーを持っていた
  • トニーは本当に勤めていたナイトクラブ、”コパカバーナ”の支配人(メートル・ディ)に出世した

つまり、トニー・リップ・ヴァレロンガはその後、実際にコパカバーナの支配人とも言うべき、メートル・ディというポジションに昇進したということです。

そこでかのフランシス・フォード・コッポラ監督と出会い、『ゴッドファーザー』に端役で出演することで俳優への道が拓けたのです。

トニーとドン・シャーリーの間に生涯交流があったことも事実のようです。

実際、この映画はトニーの長男ニックが父親の影響で映画業界に入り、トニーとドン・シャーリー双方から直接聞いていた話をまとめたストーリーなのですから。

そこまでは実話の通りということで良いようです。

ちなみに・・・
ナイトクラブ・コパカバーナのその後 
とは

コパカバーナといえばニューヨークの有名なナイトクラブで、映画『グッドフェローズ』や『トッツィー』、『レイジング・ブル』などの撮影にも使われ、数々のコメディアンや歌手がデビューを飾ったところです。

現在ではコパカバーナは全て閉店してしまいましたが、一番最近まで残っていた店舗はタイムズ・スクエアにあり、まさに『グリーンブック』の撮影にも使われたあのクラブが実際のコパカバーナだったようです。

しかし、この最後の店舗までも、なんとコロナの影響により・・・2020年5月、創業80年の歴史が永遠に幕を閉じたとのこと。

残念極まりないことです・・・ね。 😥

出展:https://ny.eater.com/2020/5/26/21270328/copacabana-midtown-nyc-nightclub-permanent-closure-coronavirus

 

実話との違い

ではここからは実話との違いです。

なぜこの作品が批判を受けているのかにも通じる点になりますが、ここでご紹介する実話との違いは、ドン・シャーリー自身の生い立ちや人柄、社会的地位などに関することで、一見ごく個人的な、ささいな事柄と思いがちなことも多く含まれています。

今回、ドン・シャーリーの遺族のインタビュー記事などを読んで出てきた情報を具体的にご紹介します。

それは例えばこんなことです:

 

  • ドン・シャーリーはトニーに家族がいるかと聞かれ、「兄がいるが疎遠になっている」と答えているが、実際は4人兄弟で生涯家族・親族とは非常に仲が良かった。
  • ドン・シャーリーは父親がいない母子家庭で育ったと語っているが、実際にはドンが9歳の時に亡くなったのは母親のほうで、それ以降は父子家庭だった。
  • ドン・シャーリーはフライドチキンを食べたことがないと言っていたが、黒人社会で普通に育った彼は小さい頃からフライドチキンを食べ慣れていた。
  • ドン・シャーリーは黒人アーティストについてよく知らず、トニーから教わったような描き方をされていたが、それも違っていた。
    彼はすでに音楽業界では著名な人物だったので、当時の大物アーティストたちの多くは親しい友達だった。
    ライオネル・ハンプトン、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、レオンタイン・プライス、マーティン・ルーサー・キングJr.など。
    ポール・ロブソンやウィリアム・ワーフィールド、ハリー・ベラフォントなど、生涯に渡って親しく交流したアーティストは他にもたくさんいた。
  • ドン・シャーリーがトニーに毎晩部屋にカティサークを1本届けさせる、という描写があったがそんな事実はなかった。
    そもそも彼は落ち込んでアルコールに依存するような事は一切なかったし、カティサークも別に特に好きではなかった。
    滅多に飲まないドン・シャーリーがたまに好んで飲んだのは、シーバス・リーガルかピンチだった。
  • ドン・シャーリーの自宅に王座の椅子などなかった。
    彼は自分の出自をよく心得ていて、自分が王様だなどとは考えていなかった。
  • ドン・シャーリーはグリーンのキャデラックで南部を廻った、と描かれているが実際に彼が移動に使っていたのは黒いリムジンだった。
  • トニー・ヴァレロンガは自前のスーツ姿でドン・シャーリーのツアーに同行したと描かれているが、実際にはドン・シャーリーの運転手は全員、運転手用のグレーの制服を支給されており、トニーもそれを着用していた。
  • ツアー期間は8週間ではなく、1年の長期に渡るものだった
  • (ドン・シャーリーの一番下の弟モーリスの証言によると)ドン・シャーリーはトニーを”友達”とは思っていなかった。
    ドン・シャーリーはトニー(の差別主義?)に耐えられずツアー後にトニーを解雇した。

 

かにゃ
最後のはちょっと・・・知りたくなかったにゃ・・・

 

そして他にも、列挙しきれないほどの実話との違いがあったらしいのです。・・・

 

ドン・シャーリーは映画の内容を了承していた

ただし、この映画で語られた内容は予めドン・シャーリーが了承していたという事実を忘れてはいけません。

脚本を書き、この作品をプロデュースしたトニーの息子、ニック・ヴァレロンガは、映画を制作するにあたり父親に相談したところ「必ずドクター・シャーリーの許可を取るように」と念を押されたそうです。

そしてドン・シャーリーに、ふたりの友情をテーマに南部へのツアーのことを映画にしても良いか確認したところ、

「いいけど、私が他界した後にしてね」

との条件つきでOKが出たのだそうです。

自分が存命のうちに映画化されると、作品についていろいろ聞かれるのが煩わしかったに違いありません。

特に前述した弟モーリスさんが証言したようにドン・シャーリーがトニーに付き合いきれなくて解雇した、という出来事があったのであれば「なんで兄さん、あんな映画を作らせたんだ!?」と身内からも言われてややこしいことになりますね。

だから敢えて「自分が他界してから」と条件をつけて、それでもOKを出したのです。

なぜならドン・シャーリー自身は、南部へのツアーを通して自分がトニー・ヴァレロンガに多大な影響を及ぼしたということを、理解していたからです。

ツアーの後、トニーが家族連れでドン・シャーリーの家に遊びに来たことがあるそうです。

ドン・シャーリーは、(差別主義者の)トニーがそんなことをするとは思っていなかったので驚いたそうですが、彼は心理学者でもあったため、トニーの変貌を興味深く受け止めたようです。

心理学的見地から、トニーの内的な変化を理解し、歓待したのだそうです。(ドン・シャーリーには心理学者としての学位とキャリアもありました)

また、映画で語られたドン・シャーリー自身の描写には、遺族も知らなかった情報があったそうです。

それも含めて「自分が他界した後に」公表してくれ、とのことだったらしいのですが、遺族からは「実話との違い」の一つとして指摘を受けました。

それについてニック・ヴァレロンガは

「ドクター・シャーリーに”映画にするまで他言しないように”と言われたんだ。

彼との約束だから、事前に遺族に話すべきだったと言われても困るよ」

と釈明しています。

ネットちゃん
何のことだろう、ゲイだったことかな。
そうかもしれないね、生涯公表しなかった秘密だったらしいから。

 

参考サイト :
・https://www.philasun.com/commentary/green-book-not-our-story-his-story-their-fiction/
・https://www.biography.com/news/don-shirley-tony-lip-friendship
・https://www.vanityfair.com/hollywood/2018/11/green-book-movie-true-story-don-shirley-tony-vallelonga
・https://www.rottentomatoes.com/m/green_book
・https://ny.eater.com/2020/5/26/21270328/copacabana-midtown-nyc-nightclub-permanent-closure-coronavirus

 

まとめ


『グリーンブック映画のその後・実話との違いと批判されたのはなぜかについての解説』をご紹介しました。

ドン・シャーリーとトニー・ヴァレロンガが映画のその後も生涯、交流を持っていたことは事実です。

アカデミー賞を受賞して注目が集まった分、批判されているのも目立つ結果になったようですが、作品自体は素晴らしく、アメリカでの評価もかなり高いです。

実話との違いはあったものの、ドン・シャーリーもニック・ヴァレロンガの取材に協力し、この映画の制作を了承したのですから、「人種を超えた理解と友情」について前向きなメッセージを送りたかった、というのは間違いないところだと思います。