子どもの頃、映画『ET』を観て「はてな?」と思ったことの1つが、「パパはサリーとメキシコだ」というセリフでした。
どういうこと?お父さんとお母さんは離婚したの?
サリーって誰?なんでメキシコに行ったの?
確かに、映画の中にお父さんは出てこないし「サリーとメキシコ」とは言ってるけど、それがどういう状況なのか、よくわからないまま映画を観てたんです。
大人になったらそこは意味がわかるようになったけど、まだわからないことがありました。
なぜ映画『ET』では「お父さんがいない家庭」でないといけなかったのか?
調べてみると、『ET』にお父さんが出てこないのはある意味必然だったようです。
お父さんがいる”普通の家庭”じゃ、このストーリーは成り立たなかった。
そこにはスピルバーグの生い立ちと、彼の夢の世界が投影されていたからです。
どんな逸話かくわしく解説するね。
泣けるよ。
もくじ
ET映画でお父さんは離婚したの?
E.T.は20周年特別版の製作にあたり子供たちに銃を向けるのは良くないとCGで銃をトランシーバーへ変えました。
その後、変更に賛否が巻き起こりました。今回のは銃のままなのでオリジナル版ですね#ET pic.twitter.com/bKDlATXu3x
— 南方朱雀 (@VermillionKite) July 20, 2020
ある程度大人になってからわかったことだけど、映画『ET』でエリオットのお父さんがいないのは、お母さんを捨てて出て行ってしまったからでした。
お父さんは、子供たちも知っている「サリー」っていう名前の女の人とメキシコに旅行に行っちゃったんだけど、そのことでお母さんが泣いてるシーンが出てくるから、サリーとお父さんの浮気が発覚したのは最近ということになる。
つまりまだ離婚は成立してないんですね。
大方、お父さんの浮気に気づいたお母さんが問い詰めたら、お父さんが開き直って家を出て行ってしまったってところじゃないだろうか。
サリーっていうのは多分、お父さんの秘書かなにかで、ホームパーティやイベントの時にはエリオットたちにも会ったりして、家族全員知ってる人だったんだと思います。
エリオットから見ても超仲良しに見えたお父さんとサリーは、お母さんよりも仲良しに見えたのかもしれない。
お母さんと喧嘩したお父さんが家を出る時、こんな会話があったかもしれないね。
エリオット:パパどこ行くの?
パパ:メキシコさ。
エリオット:サリーも一緒に行くの?
パパ:・・・。
エリオット:(そうなんだ、と悟る)
このお父さんは、お母さんに対して全然誠実じゃないね。
エリオットはお父さんが大好きだった
でもエリオットにとっては違ったんだろう、とわかります。
エリオットが庭でETを見たと言った時、お母さんもお兄ちゃんのマイケルも、妹のガーティも誰も信じてくれなかったけど、エリオットは「パパなら信じてくれたのに」と言うシーンがあった。
エリオットのお父さんは、子供の気持ちに共感してくれる素敵なお父さんだったんだね。
エリオットがお父さんをとても慕っていることは、ガレージでお父さんのシャツを見つけて匂いをかぐシーンでもわかります。
でも映画の中ではそれ以上お父さんの説明は出てこなくて、一度もお父さんは出てこない。
なぜならこの映画は、「父親不在であることが重要だった」からなんです。
ET映画について・スピルバーグの生い立ちと夢の逸話が泣ける
さらに!!
🌟奇跡の一枚🌟#WOWOW 中継陣の現地コーディネーターが撮ってくれた写真になんと…#ディカプリオ#スピルバーグ#マーク・ライランス#レディ・ガガ#クリスチャン・ベール
皆さまへ拡散を🎬 pic.twitter.com/boS6dJsUzL
— EIJIRO OZAKI 尾崎英二郎 (@EijiroOzaki) March 1, 2016
スピルバーグ監督は『ET』について「両親が離婚すると子供がどれほど傷つくかを訴えたかった」映画だと言っています。
それはスピルバーグ自身が、小さい時に両親の離婚を経験して辛い思いをしたという生い立ちがあったから。
エリオットにとってのETとは、スピルバーグが10歳の時に願い事リストに入れていた、夢の存在だったんです。
ースピルバーグ自身の言葉
後年スピルバーグがETについて語ったというこの逸話には、ストーリーの謎を解くカギがたくさん含まれていたことでしょう。
エリオットはかつての自分の投影
両親の離婚後、スピルバーグが欲しかった夢の友達が「ET」だったんです。
兄のように物知りで、弟のように頼って来てくれて、父親のように気持ちを通わせてくれて、怪我をすれば手当をしてくれる。
いつでも大きな愛で包んでくれた、それがエリオットにとってのETです。
スピルバーグはETのキャラクターに、10歳の頃自分が夢みた友達を投影したんです。
やがて一心同体のようになったエリオットとETだったけど、二人は病気になり、体力の限界に来ていたETだけが死んで二人の絆は絶たれたかのように見えた。
エリオットはETを失って「何も感じなく」なってしまった。
それは大好きだった父親が離れて行ってしまった時の、スピルバーグ自身の喪失感だったんだろうね。
別の道を行くETとの別れを乗り越え成長したエリオット
やがて息を吹き返したET。
エリオットは「ETは自分の星に帰らなければならない」と悟ります。
自分とETの居場所はそれぞれ別のところにあるという事実を受け入れたエリオットは、母親と離婚して別の道を行くことにした父親を許し、送り出す決心をした時の、スピルバーグ自身を示唆しているんです。
「自分が自分らしく元気にいられる場所こそが、その人の帰るべき星なんだ」
そういう風に、悟ったんだと思う。
理解して観ると断然深い映画『ET』
スピルバーグがエリオットを通して表現したかったのは、10歳の頃に自分が体験した喪失感や悲しみと、それを乗り越えるまでの自分の姿。
それを理解して『ET』を観ると、エリオットの成長はとてもリアルなものに見えてきます。
スピルバーグ監督の、この映画に込めたメッセージも胸にささりますね。
子供を持つって大変なんだ。
もうひとりのスピルバーグが登場
映画にはスピルバーグが自身を投影したキャラクターがもう一人、登場します。
それは「カギの男」です。
序盤からカギの束をじゃらじゃらさせて周囲を嗅ぎまわっていたこの男の人は、エリオットとETが病気で集中治療室に入ったシーンからやっと顔が出ます。
スピルバーグ監督は、この映画を「子供の目線で」撮ることに比重を置いたといいます。
子供の目の高さから見える風景を撮るためにカメラも極力低く構えて回し、父親らしい人物を一切登場させないために、大人の男性は誰も首から上がはっきり映りませんでした。
それが、ETとエリオットのシンクロが解除されるタイミングで、このカギの男が顔つきで登場します。
このカギの男こそ、もう一人のスピルバーグなんです。
彼がエリオットにこう言うシーンがあります。
「彼は僕にとっても友達だ。僕は10歳の時から彼との出会いを待ってたんだ」。
10歳の頃、願ったけれどETとは出会えずに父親との喪失感を乗り越えて大人になった現在のスピルバーグ自身の投影として、このカギの男は登場するわけです。
知れば知るほど深いでしょ・・・こんな風に自分の生い立ちをさり気なく表現できるなんて、やっぱりスピルバーグは天才だね。
まとめ
スピルバーグ監督が子どもの頃初めて覚えた“長い単語”は恐竜の名前だったそうです。映画の準備のためにモンタナの発掘現場を訪れた監督は「ぼくもひと夏、ここで暮らせたらいいのになぁ」と思ったそうですー😆 #ジュラシックパーク #ジュラシックワールド #スピルバーグ #kinro pic.twitter.com/tvbOJd3wLh
— アンク@金曜ロードSHOW!公式 (@kinro_ntv) July 28, 2017
今回、スピルバーグ監督が映画『ET』に込めたメッセージについて改めて知って、この作品を何倍も深く理解することができたよ。
この映画にはスピルバーグ監督の生い立ちや、お父さんへの思い、こうだったらいいなと10歳の頃に夢みた理想の存在が投影されていたのでした。
「両親が離婚すると子供はこんなにも傷つく」。
スピルバーグ自身が体験した両親の離婚についての逸話は、エリオットの喪失感にリアリティを与えて、より深く共感できる映画になりました。
すでにこの作品を観たことがある人も、もう一度観てみてください。
前泣かなかったひとも、泣けるはず。