映画『魔女の宅急便』には、見習い魔女のキキと魔女ネコのジジが出てきます。
キキとジジは同じ時期に生まれて一緒に育てられたパートナーで、お互いにしかわからない言葉で会話することができます。
魔女の世界では、見習い魔女には皆1匹ずつ魔女ネコがつくことになっていて、それぞれの言葉でコミュニケーションを取っているそうです。
しかし、ある時キキはスランプを抱えて、唯一の魔法であった飛ぶことができなくなってしまい、同時にジジの言葉もわからなくなってしまいます。
やがてスランプを脱して映画のラストになっても、ジジがまともに言葉を話すシーンがなく終わってしまうので、見終わった後若干切ない余韻が残ります。
なぜジジは映画の最後になっても話せないのか?
今回は『魔女の宅急便ジジが話せないのはなぜ?伝えたいことは魔法と関係ない?』というタイトルで、この謎から宮崎駿監督が伝えたいことを考察してみたいと思います。
もくじ
魔女の宅急便ジジが話せないのはなぜ?伝えたいことは魔法と関係ない?
あっ。ちぇっ、ちぇっ。気取ってやーんの。 ジジ / 魔女の宅急便 pic.twitter.com/mxxLvFVgwM
— スタジオジブリ名言bot (@jiburicollecti2) January 6, 2020
宮崎駿監督曰く「ジジの声はもともとキキの心の声で、ジジが話せなくなったのではなく、キキが変わったんだ」ということです。
それはショックですね。
最初からあんなにひっきりなしに会話していたジジの言葉が、本当はジジ本人から発せられたものではなくキキの心の声だったとは。
キキにはつまり、幻聴があったということでしょうか!?
その「幻聴」がスランプをきっかけに治ったのでしょうか??
いや、宮崎駿監督はジジを「キキが一人前の魔女になるまでのパートナー」という位置づけで描いたようです。
スランプになったからジジと話せなくなったのではなく、魔女としてレベルアップする段階に来たからこそ、ジジと話せなくなったのです。
宮崎駿監督は「得るものがあれば失うものもある。キキはもうネコと会話する必要はなくなったんです。大人になったらいつまでもネコと話してんじゃねぇ、ってね」とコメントしています。
わたしは、大人になってもネコと話せる魔女のほうが素敵だと思いますけどね~。
子どもの頃しか見ることのできない”妖精”とか”小人”とか、おとぎ話に出てくる架空のキャラクターは、「大人になっても純粋な心を忘れないことの大切さ」や「子供時代にだけ持つ感受性の尊さ」を思い出させてくれます。
一見すると、宮崎監督がこの映画で伝えたかったことは、それとは逆のことのように聞こえますね。
大人になったら大人らしくしろ、のような。
これはメッセージとしては面白いと思います。
「得るものあれば、失うものあり」。
大人への階段という、ビターな学びを促すメッセージですね。
スランプは成長の前触れ?
ちなみに、映画の中でキキがジジと話せなくなるのはスランプを脱した時ではなく、スランプに陥った時のように思われます。
ある日突然、ジジの言葉がわからなくなってしまい、飛べなくなってしまうのです。
これは、キキが陥ったスランプが、スランプというよりむしろ「成長の前触れ」だった、と見ることができますね。
魔法がレベルアップする前にまず、ジジの言葉が遠のいて行ったのです・・・。
キキの魔法のレベルアップとは、ホウキに頼らず、たとえ道端のデッキブラシでも、キキ自身の魔法で空を飛ぶことができるようになった、というあのシーンに表現されています。
ただのデッキブラシにキキの魔法が電気のように伝わり、ビン!と痙攣してからキキの「上がれ!」の声に反応して勢いよく飛び上がるところ、確かに感動で胸がいっぱいになりますよね。
実はこういったことは映画や魔法に限った話ではなく、現実社会で誰でも経験しうることだと思います。
継続して1つのことに挑戦するとき、目標に向かって努力していても全く成果が出ないどころか後戻りしてるんじゃないか、と思うようなスランプに陥ることはよくあります。
成果や上達のしるしは坂道を上がるようにはきれいに出ないもので、階段とか弓形曲線のようになっているものなんじゃないでしょうか。
急成長の前には停滞期やスランプがあるのです。
手前みそ的な経験を2つ挙げるとたとえばこんなことです。
成果の前ぶれ 例1:7日間断食
わたしは最近、7日間断食でまさにそんな経験をしました。
断食5日目の朝、空腹と食欲で一番つらかった4日目を終え、体重計に乗ってみるとなぜか前の日より1kgちょっと増えているのです。
もちろん、決められた酵素ジュースと脱水症状を防ぐための梅干し以外は水しか口にしていません。
運動量も保っていたので増えるはずがないのに増えていました。
なんでだろう、こんなに頑張ってるのに・・・と首をかしげながらその日は過したのですが、翌日。
断食5日目の朝に再度測ってみると、一気に2kg近く減っていました。
その後、断食6日目と7日目の朝にもさらに体重が減って、スタート時からトータルで3.5kg減りました。
初日から4日目までは1kg程度しか減っていなかったことを思うと、5日目に「1kgちょっと」増えたのはショックでした。
でもそれがその後がくんと体重が減る前触れだったようです。
成果の前触れ 例2:アイススケート
以前アイススケートの教室に通っていた時、スピンの練習をしていて全く回れなくなってしまったことがありました。
それまではするするっと何回かは回れていたのに、それさえもできなくなってしまったのです。
やってもやっても転ぶようになってしまって、できていたものもできなくなった、とショックを受けしました。
でもその後諦めずに、毎度転びながら軸を取る練習を続けていくと、ある時はっきりコツをつかんで一気に回転数多く、速く回れるようになりました。
これも、成果が出る前のスランプだったと思います。
キキがジジと会話できなくなったのも、同じことだったのかもしれません。
ただ、ジジとの会話と引き換えに大人になるだなんて・・・人間の足を手に入れるために美しい声を失った人魚姫みたいに哀しく思えて、正直わたしは好きじゃないんですけどね。
映画と原作の違い
原作はその点、ちょっと違っていました。
まず「キキがジジと会話ができなくなった」とか「キキがジジの言葉がわからなくなった」のではなく、「ジジのほうが」一般のネコ語と魔女ネコ語を使い分けられなくなったのです。
ジジが出会ったガールフレンドの白いネコ・リリーが、ジジの魔女ネコ言葉を聞いて「可笑しい」と言ったからで、彼女に言われてジジは「大人らしく洗練されたネコ語をしゃべるようになりたい」とキキに宣言したのです。
原作では、大人になるためにキキとの会話を捨てようとしたのはむしろジジでした。
そのエピソードは5巻に描かれています。
しかもジジは、最後には全くキキと話せなくなってしまった、なんて非情なことはなく、ちゃんとネコ語と魔女ネコ語を使い分けられるように成長します。
人によって感想・意見はいろいろだと思いますが、わたしはこの点では断然、角野栄子さんの原作のほうが好きです。
まとめ
成人式は、すでに東京で働いていたので、出席しなかったですね。
その代わり、上京する前日に観た『魔女の宅急便』を観返しました。
ジブリでいちばん好きなんですよ、とくに、最後にジジと話せなくなるところが。
成長には代償がともなうものだよっていうメッセージ、さすがだと思います。 pic.twitter.com/7Efd1WPoUN— マンゴスチンホテル🌴 ~MANGOSTEEN HOTEL~ (@mangosteen_447) January 11, 2020
いかがでしたか?
今回は『魔女の宅急便ジジが話せないのはなぜ?伝えたいことは魔法と関係ない?』についてご紹介しました。
映画で宮崎駿監督が伝えたいことは、直接キキの魔法とは関係なく「何かを得れば何かを失うものなんだよ」というメッセージでした。
なぜ、ジジが話せないのかといえば元々それはジジ本人の言葉ではなくて、キキの心の声だったから。
キキは魔法がレベルアップし、どんなホウキでも自分の魔法で飛べるような強い自立した魔女になった。
大人になったから、もうジジと会話をする必要がなくなった、ということなのだそうです。
ただし角野栄子さんの原作『魔女の宅急便』では、ジジとキキは最後までちゃんと会話はできます。
原作もすごく楽しい、幸せになれる物語なので機会を見つけてぜひ読んでみてくださいね!
どんな内容かざっくり知りたい方は、こちらの記事からどうぞ♪